14年ぶり、日本とベルギーをつなぐ全日空のボーイング787-8型ドリームライナー
© All Nippon Airways
EUの主要機関やNATO(北大西洋条約機構)本部を擁するベルギーのブリュッセル。そして数多くの日系企業が欧州本社を置くベルギー。チョコレートやビールなどで、美食の国として定評のあるこの地に、この秋、10月25日から直行便が就航する。全日空のボーイング787-8型ドリームライナーが、成田・ブリュッセル間をつなぐ。これまで乗継に要した5時間以上が短縮され、ベルギーと東京がぐっと近くなる。サベナ・ベルギー航空が倒産して直行便が消滅したのは2001年のこと。実に14年ぶり、待望の朗報だ。
こじんまりしていて、旧市街まで30分以内と足場もいいブリュッセル空港。 (c)Michiko Kurita
別名「ヨーロッパの十字路」とも呼ばれるここブリュッセルは、多くの主要国際機関と、これらに働きかけるための2000を超えるロビイストや各種業界団体・権利事務所がひしめき合う欧州政治のメッカだ。人口1000万人と、極めて小国だというのに、各国からの大使や外交官も大勢いる。日本からは2人の大使とその外交団((対ベルギーと対EU)が常駐。アメリカはこれに加えて対NATOにも大使を送っているから3人。
在留邦人数だけで見ると5000人程度で、周辺の欧州主要都市よりずっと少ない(ロンドン約3万5000人、パリ約1万人、デュッセルドルフ約8000人)。しかし、欧州委員会、欧州理事会、欧州議会、NATO本部がここにあること、高速列車を利用すれば、パリ、ロンドン、フランクフルトやデュッセルドルフ、アムステルダムなどの欧州主要都市へ短時間で行き来できること、また、無料の高速道路網がよく発達していること、ベルギー人が多言語に長けていることなどから、欧州市場の統合以降、欧州本社をベルギーに置く多国籍企業が増えた。つまり、欧州内での政治・経済的重要度は極めて高い。全日空広報部によれば、「トヨタ、コマツ、富士通をはじめ、日系企業も240社以上進出しており、ビジネス目的を中心に旺盛な渡航需要があると分析している」という。在ベルギーの日系企業、日本と取引の多い企業にとっては、直行便就航は極めてありがたい。
世界遺産のブリュッセルグランプラス ©Michiko Kurita
一方、ベルギーは、ここ十年ほどの間に、チョコレートやビールをはじめ、ミシュラン星付きのレストランの多さや、B級グルメのポテトフライ(フリッツ)の発祥地としても、日本人の間で美食の国としても知られるようになった。中世以来もっとも栄えた地域として、絵画や彫刻、建築、音楽などの分野でも見るべきものが多いのも事実。広場や街全体が世界遺産のブリュッセルやブルージュは観光地としての人気は極めて高い。春の観光シーズンが始まると、オランダ・ベルギーは、チューリップやブルーベルなどの花を楽しむ観光客が目白押しになる。直行便就航は、観光・旅行業界からの期待も高い。
在ベルギーの日本人向け旅行代理店社長加藤文代さん(フジトラベル)は、「ベルギーから日本への出張者や里帰り旅行者は、これまでパリ、フランクフルト、アムステルダム、ヘルシンキ、ロンドン、チューリッヒなど様々な中継地を利用してきましたが、今後は全日空直行便を好むようになるでしょうね。日本からの需要としては、ブリュッセルは、今後、欧州各地はもちろんですが、日本からアフリカ諸国へのユニークなハブ港としての市場に期待しています」と意欲満々だ。日本ではあまり知られていないが、2001年に倒産したサベナ・ベルギー航空は、アフリカ各地への航路を強みとしていた。SNブラッセル航空として再興した現在も、欧州とアフリカ諸国をつなぐニッチ・マーケットで健闘する。全日空は、スターアライアンス系列のルフトハンザ航空などとの協力はもちろんだが、SNブラッセルズ航空との連携で、アフリカ27目的地への最短航路を開くことになる。
「14年ぶりだもの、そりゃあ、嬉しいわね。日本がぐっと近づいた感じよね。」と、にこにこ顔で語ってくれたのは、ベルギー在住46年目を迎える向野よし子さん。彼女は、かつて日本とベルギーをつないだサベナ・ベルギー航空、第一期日本人スチュワーデスとして、1969年この地に渡った。直行便が消滅して14年。全日空にとっては、欧州第6番目の就航地。政治・経済・観光関係者はもちろん、在留邦人も、東京とブリュッセルを結ぶ唯一の直行便を待ちわびる。
1969年、日本とブリュッセルをつないだサベナ・ベルギー航空日本人スチュワーデス一期生 © Yoshiko KONO
(PUNTA掲載 2015-07-27)
たわわに実るチェリートマト ©Michiko Kurita
真っ赤にたわわに実った美味しそうなトマトが、見渡す限り続く広大なトマト畑。でもこの広大な畑に「土」はない。土を一切使わない完全な水耕栽培による巨大なトマトの畑、いや団地というべきか、工場と言うべきか…。
水耕栽培トマトのベルギー最大手『デン・ベルク』 (c)Michiko Kurita
ここは、ベルギー北部、オランダ国境際にある、ベルギー最大の水耕栽培トマト農園デン・ベルク(Den Berk)の50ヘクタールにも及ぶ巨大なグリーンハウス。40種類以上のトマト品種から、スナック需要や子供向けに重点をあてた生食用のトマトが膨大に出荷されている。ハウス物の水耕栽培トマトの生産高は1平方メートルあたり、通常トマトで約80kg、甘くて小さな新種トマトで30kgで、世界トップクラスだという。
トマトの水耕栽培について、話には聞いていた。せっかく欧州統合が実現し、南欧の暖かく日照に恵まれた地方から、お日様をたっぷり浴びて完熟したトマトがいくらでも北ヨーロッパの食卓に届くというのに、何をそこまで無理して、寒くて暗い北ヨーロッパでハウストマトを作る必要があるのだろうと。化石燃料をいやというほど費やして、暖房し、人工照明を照らしながら。ところがデン・ベルクのトマト用グリーンハウスを訪れ、説明を聞いて、思わずうなってしまった。いったい、何をもって、「より自然」「より有機」「よりエコ(環境に良い)」と言うべきか。
見渡す限りのトマト農園グリーンハウス ©Michiko Kurita
まず、水耕栽培では、土の代わりに、ロックウールと呼ばれる人造鉱物繊維を培地として使用する。なんだか土でないというだけで、不自然な気がしてしまう。だが、吸水性に優れ、最適な水分と栄養を管理しながら与えることができるから、病気な害虫などのリスクが低い。グリーンハウス上に降った雨水が集められて給水と養分水に使われ、余分な水は再び集められて殺菌され用いられる。ほぼ完全な閉鎖循環なので、土壌や地下水を汚染する心配がないというから、これは環境には望ましい。トマトの栽培には、光が命だ。トマトの苗や葉に、より多くの光が届けば届くほど、光合成がしやすく、トマトは育ち、トマトは甘く熟す。デン・ベルクでは、太陽光の反射を最小にとどめて、より多くの光をグリーンハウス内に差し込ませ、その光を最大限に拡散する特殊ガラスに投資した。影になる部分を減らすことで、自然の太陽光を自然界以上に活用する。おかげで、一年草のトマトなのに、植え替えの2週間を覗き、ほぼ一年中収獲できる。しかし、いくら太陽光を最大に使っても、寒冷なこの地では、ほぼ一年中を通して、暖房と人工照明が不可欠だ。そこで、ここで用いているのは、3台の大型コジェネ・エンジン*注。天然ガスで発電し、発生する熱は暖房に、二酸化炭素は光合成のために利用してCO2放出を抑制するという。冬季は暖房空間を少しでも狭めるシールドを設置し、夏季は発電した電気の多くを売電し、地域の2万世帯以上に供給している。授粉は飼育されたハチ達に任せ、作業する人々は除菌を徹底させているので、化学農薬や化学肥料を極力使用せず、どうしても必要な際には、できる限り、有機肥料や有機農薬を用いるというから、土に植えて化学薬剤を多用するより、よほど有機でエコかもしれない。
最先端技術を駆使した50haにも及ぶデン・ベルク社の水耕栽培グリーンハウス © Den Berk
天然ガスを用いたコジェネ・エンジン © Den Berk
そして最大の環境への効用は、地産地消。「トラックや鉄道を使って、生産地から消費地へ数千キロも運ばれてくるより、消費地にもっとも近いところで、完熟してから収穫されたトマトは何よりも一番美味しくて、環境にも優しい」と、若き農業技術者が生き生きと語ってくれた。確かに。「宇宙のトマト畑」のような宙吊りプラントから、もぎ取って差し出してくれたキャンディ・トマトの甘いこと!
デン・ベルクは2008年、二人のトマト農業実業家によって設立されたばかりだ。高齢者、障害者、長期失業者を積極的に雇用する「社会的責任ある企業」として、2011年以来、政府から表彰され続けてもいる。デン・ベルクは「農園」であるだけではなく、バイヤーとともに、商品開発するマーケティング部門を強化させ、パッケージング・商品化までを一貫して請け負い、出荷する。最近、コンビニやキオスクでブレイクしているのは、「シェーカー」と呼ばれる透明ハードプラスチックケース入りのベビー・プラム・トマトだ。一時は頭打ちだった従来トマト市場は、小さくてあまいスナックトマトや色とりどりのカクテルトマトなど40種類もの新品種の開発で、新たな消費機会やターゲットを創出し、市場規模は著しく伸び続けているという。
注:コジェネは英語でco-generationや combined heat and powerと呼ばれるもので、日本語では、熱併給発電または熱電併給と訳されている。 エンジンで電気を起こし、排気に残っている熱を回収して利用し、総合エネルギー効率を高める、新しいエネルギー供給システムのひとつだ。
(PUNTA掲載 2015-06-24)
ナポレオン最後の戦いとして知られるワーテルロー ©John Martin’s
19世紀始め、英国などごく一部を除くヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置き、一大帝国を築いていったナポレオン。さらなる帝国の拡大を阻止すべく、英国のウェリントン大佐が連合軍を率いて戦ったのが1815年の「ワーテルローの戦い」だ。
誰もが知るナポレオン・ボナパルト “Bonabarte Premier consul”. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ
世界史の教科書にも出てくる天下分け目の戦いから200年。6月18日、ワーテルローは、ベルギーはもちろんのこと、英国、オランダの王室を始め、世界中から大勢の観客を集め、200年を記念する戦いの再現祭りが行われる。その時「勇者のビール」として振る舞われるのが「ワーテルロー・ビール」だ。
かつて、このあたりには5つの醸造所があり、地元の麦やホップを使って伝統的なビールが造られていた。4日間で6万人以上が戦死した激戦の間、兵士に勇気と士気を与えた続けたのは地ビールだったという。当時の醸造所は消滅していたが、数年前、ある醸造所が、「ワーテルロー・ビール」の名の元にブロンドとブラウンの2種類のビールを復活。その銘柄を買収し、ワーテルローの戦いで英連合軍の野戦病院となった古い農家の建物(13世紀からある歴史遺産)を改装し、ブルワリーレストランを開業しようとしているは、地場産業
マーティンズ・グループだ。ギネスを初めてアイルランド国外に紹介した最古参業者で、スコットランド風ビールのGordonやフルーツランビックのTimmermansなどの醸造所を傘下に持つ。「100年前、英国からこの地にやってきた祖父の意志を継ぎ、200年祭にちなんだビール造りができるのは幸せです。」と三代目アンソニー・マーティンズ氏はにこやかに語る。
「ワーテルローを世界遺産級の観光地に」マーティンズ氏の夢だ。©John Martin’s
ストロング・ダークと、トリプル・ブロンドに加えて、この新しい醸造所で造るのは、「ワーテルロー・レコルテ」。レコルテ(Récolté)とは、フランス語で「収獲」を意味する。昨今の食の潮流に乗って、「Produit Terroir」(地元産)をアピールする新製品だ。そのスタイルは、ベルギー南部エノー州を中心に、このあたり一帯で造られてきた『セゾン』という伝統的なもの。もともと、夏の農繁期に向けて秋冬に仕込まれたため、ホップなどのスパイスを利かせている。夏向けのビールなので、ベルギービールとしては、アルコール度も控えめでのど越し爽やか。大麦・小麦はこのあたりで収穫されたものにこだわる。ホップは今のところ、ベルギー西部のポプリンゲ産を使っているが、将来的には、この農場内にホップ畑を作り、自給自足する予定だという。年間500キロリットル醸造を目指してスタートしたが、200年祭を前に、早くも地元の飲食店やカフェからの引き合いが相次ぎ、とても追い付かないと嬉しい悲鳴をあげている。
ワーテルロービールのギフトセット。陶器のマグが珍しい。©John Martin’s
若くハンサムな醸造士の青年を指導するのは、ベルギービール業界では知らない人のいないウィレム・ヴァン・ヘレウェーゲン氏。新レシピの開発や、あちこちの醸造所の技術指導に大活躍する彼が、このビールの品質保証マークだ。ベルギービールには、オリジナル・グラスがつきものだが、ワーテルロー・ビールのそれは、ひとつひとつ丹念に焼かれた陶器の聖杯だ。
200年祭に向けて造られた醸造所には、400㎡の大型レストランと、ビールばかりでなく様々な地元産のチョコレートなどを取りそろえたお土産ショップも併設。スピルバーグ映画で知名度をあげたベルギー漫画「タンタン」のキャラクターショップまであるのは、原作者エルジェの本拠地がこのあたりだから。将来的には、ミュージアムやミニ遊園地などを備えた複合エンターテイメントセンターにしていく構想だという。
英国軍野戦病院として使われた古い農家が醸造所に ©Michiko Kurita
ワーテルローの戦い再現祭りは、6月18日~20日。早くも前売りのスタンド券は完売だが、期間中は地元道ばかりか環状高速まで通行止めにして、英国軍、プロイセン軍、フランス軍などの兵舎やパレードが自由に見物できる。古戦場跡の広大な草原を探検しながら、ワーテルロー・ビールで乾きを癒すのも、200年目の初夏の楽しみ。「レコルテ」は、当面は樽詰めのみ。日本へのお目見えはもう少し後になりそうだから、ベルギービール好きなら、ワーテルローを目的地にするしかなさそうだ。
パッシブハウスのコンセプト図 (c)2015 Kumiko Sawada
欧州のエネルギー料金は高い。電気代も灯油代もガソリン代も、日本より断然高い。それでも、環境を守るぞと本気で決めてしまった欧州市民。それならどうするのか。その答えのひとつが『パッシブハウス』だ。
太陽光を最大に取り入れる南に面した大きなガラス窓――理想的なパッシブハウスを建設中の友人一家。
「パッシブ」とは、英語のpassive、つまり「消極的な」「受け身な」といった意味。ひとことで言えば、「外からエネルギーを買わなくてすむ家」。太陽光、電化製品や人間が出す熱を最大活用して、エネルギーをほぼ自給自足する。欧州では、大量生産・大量消費時代の終焉とともに省エネ住宅の研究が始まり、80年代終わりにドイツとスウェーデンの学者たちによって「パッシブハウス」というコンセプトが登場した。
2000年以降、欧州連合がこれを後押しして、欧州規格CEPHEUS(Cost Efficient Passive Houses as European Standard)を策定。住宅、建材、窓サッシ、空調設備などの研究開発が精力的に進められ、民間企業が続々と参入をはじめる。今や、各国各地の行政が、パッシブハウスを義務づけたり、補助金を付けて奨励したりしていることもあって、見本市やショールームでも注目の的だ。光熱費がほとんどかからないなんて夢のようだ。
パッシブハウスの原則は、従来のような冷暖房設備がなくても一年中快適にすごせる家―いかに取り込んだエネルギーを逃がさず活用するかに尽きる。基準では、暖房、給湯、電化製品のためのエネルギー需要が1平方メートルあたり50kWh以下、従来の家の6分の1以下で済む計算になる。
三重ガラスと頑強な樹脂サッシの厚みは15㎝以上もある。
そのためには、太陽光エネルギーを最大限に取り入れるための南向きの大きなガラス窓、家中に暖気や冷気を循環させる空調設備、完璧なまでの断熱性・密閉性が鍵となる。それでもわずかに必要な電気は、ソーラーパネルなどで自家発電する。それぞれの建材は、断熱性、密閉性、熱伝導率などの値で競う。たとえば、窓は、断熱性能と密閉性に優れた分厚い樹脂サッシをフレームにした、アルゴンガス入りの三重ガラスなどが標準。窓サッシの厚みだけでも15cm以上もある。
紫外線を遮断するガラス、太陽光を除けながら景色は楽しめる遮光性シャッターなども活躍。屋根や壁に施す断熱材だけでも30㎝もあるから、壁の厚みは50cm以上。そして、少しの隙間風も許さない入念な接合部分への配慮。これで冬は暖気を、夏は冷気を逃さない。「家はまるごと魔法瓶。人間一人だって100Wの大切な発電機なんだよ」とは、理想のパッシブハウスを建設中の友人の弁だ。
ベルギーでは、2010年から、新築の住居は認証機関による実測をもとにしたエネルギー消費値が年間170kWh/平方メートル以下と決められた。今年始めから、家を売ったり貸したりするには、これをもとにアルファベットで示したスケール(A++からGまでの9段階)を公示することも義務付けられた。新築ならスケールB以上、スケールE〜Gでは、どんなに安くても借り手や買い手はつきにくい。
日本でも、2012年頃から、経産省や国土交通省で「ゼロエネ住宅」が推進されているようだが、「この装置を取り付けたら、費用をいくらまで補助」という気休め的アラカルトでは、メーカーや工務店を支援するだけ。「ドイツ式」や「アメリカ式」を売り込むメーカーも目につくが、高温多湿の地震大国に、欧米で開発されたパーツが役立つのかも疑問だ。
化石燃料や核から、再生可能エネルギーへと舵を切った欧州。持ち前のケチケチ精神をもとに、自衛して生きるためのアイデアやイノベーションに未来をかける。日本でも、『もったいないお化け』にご登場いただき、日本らしい『パッシブハウス』の研究開発にまい進した方が、経済もお財布も喜びそうだ。
外気を取り入れ、フィルターしながら熱交換して各部屋に送る空調設備。
(PUNTA掲載 2015-05-01)
《 空の鳥 》 1966年 油彩/カンヴァス 68.5 x 48 cm ヒラリー&ウィルバー・ロス蔵 Hilary & Wilbur Ross (c) Charly Herscovici / ADAGP, Paris, 2015 (c) Photothèque R. Magritte / BI, ADAGP, Paris / DNPartcom, 2015
「シュール」と聞いて何を思うだろう。なんだか変だ、不思議だ、不気味だ、理解に苦しむ…こんなところだろうか。その語源は、フランス語の『シュルレアリスム(surréalisme)』、つまり20世紀始めに欧州で興った前衛芸術『超現実主義』。まるで夢の中を覗いているような独特の現実感のある作品が多数生み出された。
ルネ・マグリットはその代表的芸術家のひとりに数えられるベルギー人。日本にもファンの多い彼の展覧会が、いよいよ3月25日から国立新美術館(六本木)、7月11日から京都市美術館で開催される。東京では13年ぶり、京都では44年ぶりの大回顧展だ。
ブリュッセルの中心部「マグリット美術館」(ベルギー王立美術館群のひとつ)
近づきがたいほど抽象的だったり、ちょっとたじろぐほどに奇怪だったりして、見る者をぎょっとさせる画風が多いシュルレアリスムの中にあって、マグリットの作品、とくに後期のものは、なんの変哲もない日常の中にふと感じる神秘のようなものを描きだしていて、シュールなのに不快感がない。羽ばたく鳥型に切り取られた大空、大粒の雨のように空からバラバラと降ってくる山高帽の紳士、空はまだ明るいのにすっかり帳の降りた玄関脇で誰かの帰りを待つかのように灯る門灯。解説によれば「矛盾に満ちた不条理の超現実世界」であり、それを描くための巧妙に仕込まれた手法なのかもしれないが、それでも、見る人に、なんとなく人肌の温もりを感じさせてくれる。それが、地理的にも時代的にも遠く離れた今日の日本人にすら好まれるゆえんかもしれない。
マグリットの作品の分析で、幼い頃に母親が入水自殺してすさんだ幼少期を過ごしたとか、早熟で性的葛藤が多かったなどと深読みする評論家もいるが、むしろマグリットの足跡や作風に、いかにも何気なくシュールなベルギーの現実を垣間見るのが面白い。
《ゴルコンダ》1953年 80 x 100.3cm 油彩/カンヴァス メニル・コレクション The Menil Collection, Houston (c) Charly Herscovici / ADAGP, Paris, 2015 Image may not be reproduced without permission from the Menil Collection
ブリュッセル郊外にある自宅兼アトリエ「ルネ・マグリットの家」ミュージアム
シュルレアリスムというと、フランスやイタリア、ドイツに端を発するように考えられているが、その土壌となったとされる画家には、ベルギー人が意外と多い。16世紀の画家ピーテル・ブリューゲルらブリューゲル一族もそうだ。神話や死後の世界、厳しい税取り立ての現実などを、実にシュールに描いている。中でも『狂女フリート』(アントワープのマイヤー・ヴァン・デン・ベルグ美術館)は、宮崎アニメ『千と千尋』にインスピレーションを与えたとも言われるが、シュールさではかなりのものだ。
20世紀初頭、ブリュッセルのカフェでは、詩人や芸術家や思想家が集まり、体制批判や新しい表現手法を切り開いていったとされているが、彼らが終日たむろして語り尽くしたカフェは、今もそのままの姿でベルギービールを飲ませてくれる。マグリットは15歳で知り合ったジョルジェットと早々に結婚して生涯を供にし、広告やポスターなどのコマーシャルアートで生計を立てていた。二人が助け合いながら、多くの作品を生んだアトリエ兼自宅は、「ルネ・マグリットの家」ミュージアムとして、今もブリュッセル郊外にある。小さなキッチンは純アート用、庭先の物置はコマーシャルアート用とアトリエを別にして創作活動にうちこんだという割り切り方が、逆にシュールに感じられてしまうほど現実的だ。
実際、ベルギーにいると、マグリットが描いた世界は、凡人の日常の光景の中で見え隠れする。それは、夕暮れ時の帰宅途中に見かけた、白壁の家のぽっかり灯った門灯であったり、街路樹の幹に見つけた鳥の巣に発見した3つの卵であったりするが、まさにマグリットの世界そのもの。『アル中による禁断症状』などというビールが平気で売られ、国が分裂したというパロディ・ニュースが国営放送で流される、ベルギーはそんなシュールな感性がある国だ。
シュルレアリスムの芸術家のたまり場だったフラー・オン・パピエ・ドレという名のカフェ 奥の壁には、かつてここに集った芸術家たちの写真がある シュルレアリスムの土壌は、16世紀のブリューゲルにも見られる
今回、久しぶりの大回顧展が実現したのは、2009年「マグリット美術館」が、新たにオープンし、マグリットの研究などが進んだという背景がある。日本でのマグリット展を堪能したら、少しゆっくりと時間をとって、ベルギーを訪ねてみてはどうだろう。
シュールなベルギーの空気に包まれて、作品を眺め、その足跡を訪ねるために。
マグリット展
東京:2015年3月25日〜6月29日
会場:国立新美術館(東京・六本木) 企画展示室2E
京都:2015年7月11日〜10月12日
会場:京都市美術館(岡崎公園内)
(PUNTA掲載 2015-03-23)