中世に映画を極めた古都ブルージュは、認知症に優しい街でもある。国際的な認知症の日に広場の鐘楼に掲げられた認知症に優しい街の横断幕
かつて欧州一の栄華を極めた、ベルギーの古都ブルージュ。町全体が世界遺産に指定され、観光客で溢れるこの都市は、近年「認知症対策」という全く別の側面でも注目されてきた。ところが最近になって、日本からの視察団が急増し当惑の色を隠せない。ブルージュでの取り組みはどんなものなのか。日本の関係者は何を求めてやってくるのか。日本人は、このブルージュから何を学ぶことができるのだろうか。
「日本の方々が次々やってくるので、正直言って驚いています。先日は、国会議員団まで…。ここでやっていることは奇跡でも理想でもないし、予算がなくて、次ぎの商店啓蒙セミナー用の教材やビデオを作れずにいるんです。」と、はにかみながら語ってくれたのは、『認知症に優しいブルージュ』立役者のNPO法人フォトン代表バルト・デルトゥール氏だ。
「認知症に優しい社会は誰にも生きやすい」と語るNPO法人フォトン代表デルトゥール氏
ブルージュでの取り組みが知られるようになったのは、2012年、欧州で募集された「認知症と上手に生きるEFID賞」を獲得したからだ。BBCなどの欧州メディアが伝えると、昨年8月に読売新聞が、今年早々にはNHKが取り上げたため、突然、日本からの視察申し入れが増えた。ただでさえぎりぎりの人手と予算でなんとかやりくりしている本来の業務にも影響が出てしまうほどになっているという。
市民指導のツール類
早くから高齢化の波が押し寄せた欧州では、街ぐるみの認知症対策を講じなければ、経済的にも社会的にも成り立たないという危機感が徐々に高まっていた。小国ベルギーでも、優れた社会活動に奨励金を提供する『故ボードワン国王財団賞』で、「街ぐるみの認知症対策」を推進するプロジェクトが公募され、ブルージュ市が受賞したのは2010年のことだ。ベルギー国内とEUの2つの賞で得た活動資金は合計してもわずか2万ユーロ(約280万円)、人口12万のブルージュ市が拠出できる予算は毎年5000EUR(約70万円)程度。草の根プロジェクトの予算規模だ。
この程度の予算でどうして実行できるのだろう。中心となるNPO法人フォトンは、一言で言えば、「認知症専門センター」だ。認知症と診断された人やその家族があらゆる助けを求めてその門をたたく。後ろ盾になっているのは、州の「ファミリーケア」という組織で、地域政府に認可され、運営費の75%が公費で賄われる公共性の強いものだ。
日本の「広域支援センター」に近いが、異なる点は、高齢者や障害者に限定せず、病気療養者や産前産後の女性など、日常生活に困難のある人々全般、さらにその家族をも対象としていることだ。カウンセラーや心理療法士、看護士、介護士などの派遣はもちろんだが、困窮者とその介護者が、市民生活を普通に送れるようにと、家事手伝いや子どもの世話係り、障害者や高齢者の見守り、話し相手やちょっとした大工仕事のボランティアに至るまで、社会福祉の枠組みの中でほぼ無償で手配する。
デルトゥール氏が、『ファミリーケア』のインフラとノウハウを基盤として、認知症専門センターを造ったのは18年前のこと。福祉を学んだ後、巨大な介護施設で認知症患者達に出遭った彼は、自ら小さな認知症専門ホームを開いて共同生活を始めた。しかし、こうした経験を経て確信したことは、認知症を患う人々も、本来は自宅で家族と共に暮らすのが望ましいこと、そのためには介護者へこそ支援が必須であり、街ぐるみで対応していかねば崩壊してしまうということだったという。
具体的には、フォトンに相談したその日から、熟練したカウンセラーが認知症患者と介護する家族を迎え、生活面や家庭内の具体的な支援プログラムを作る。
それは、専門学校を出た若いケアマネが、書類上の介護認定にあわせてマニュアル通りのケア・メニューを選択するのとは質を異にする。家族が認知症と診断された日から、介護する者は、生活や行動を大きく制限されることになり、親しかった友人や親戚が疎遠になり、途方もない孤独と戦うことになりがちだ。そこで、フォトンでは、介護する者へのケアを重視し、見守りボランティアなどを活用して自分の時間を持つことを奨励し、同時に、彼らのために気の置けない新たな仲間造りの場を提供する。
口笛を吹く認知症のニコさんを優しく包む奥様と仲間たち
]認知症患者だけではなく、その介護者、家族や友人など誰でもが参加できるコンサート、講演会や朗読会、季節の行事や誕生会など、毎週様々なイベントや活動を実施している。ここでなら、突然歩き回ろうが、静寂の中で口笛を吹こうが、誰も気にする必要はない。
「フォトンがなければ、妻を殺すか、心中するかしかなかった」とある男性がつぶやいた。彼は認知症だった伴侶を看取った後も、ここの仲間と会うために毎週ボランティアにやってくる。ご主人のフランツさんを介護するアニーさんは回想するようにこう語ってくれた。「二回だけ行ってみよう、気に入らなければ辞めればいいのだから」と訪れたフォトンは「ここがなければ生きていけない場となった」
専門家やボランティアに、認知症患者への対応の訓練を施すのも、そして商店やサービス業、警官、子ども達を相手にセミナーを実施するのも、市や行政に働きかけるのも、ホームページやビデオや教本を作るのも、すべてデルトゥール氏と数名の常任スタッフの仕事だ。ブルージュ市内の重点商店街ごとにセミナーを開催すると、認知症患者を歓迎するシンボルマークのステッカーを貼る店が増え、認知症患者とその家族が気軽に歩ける行動範囲が広がっていくという。
「認知症に優しいブルージュ」は、市からも、市警察からも支援されている。
マテイス助役は、「市としては、たいしたことは何もしていません。でも、市が本気で取り組んでいる姿勢を見せ、連帯感を育てるのは大切な役割です」と語る。ブルージュ市警のヴァン・ニュッフェル長官も、「できる限りの協力を惜しみません。取り締まりよりも、市民生活を守るのが我々の務めですから」と徘徊患者の緊急捜索に全面協力し、成果をあげている。
認知症を患うご主人のニコさんを介護するエレナさんは、社会の根底にあるのは、「一人で持ちきれない重荷は、皆で分け合って持てば生きていけるという市民の連帯意識ではないかと思う」と話す。それは、「認知症だけでなく、障害者、病気の人、子どもを育てる女性や家族、さらには、人種・民族などありとあらゆる社会的弱者に向けられている」とも。
日本からの相次ぐ視察依頼に困ったデルトゥール氏は、思い切って10月に来日し『認知症に優しいブルージュ』について講演することにした(注)。それらの依頼に対し、日本での講演に来てほしいと伝えても、「視察旅行の予算をとったので、受けてもらわないと体裁がつかない」と納得してくれない人もいるという。
「問題は、認知症そのものではなく市民社会のあり方。認知症に優しい社会は、誰にも生きやすく、無理を強いない」とデルトゥール氏は苦笑いする。9月21日は『国際アルツハイマーデー』。ベルギーでは、フォトンはもちろん国中から多くの関係者が集まり、認知症に優しい街づくりを誓った。フォトンを訪れても、形だけ真似てみても、社会まるごとの意識変革がなければ、認知症に優しい社会は実現できそうにない。
<2014年9月29日WEBRONZA初出掲載>

海岸に打ち上げられた幼いシリア難民少年の哀れな姿――2015年9月初め、英国の主要紙ザ・ガーディアンが第一面に掲載した衝撃の写真を機に、世界のメディアが欧州難民危機を伝えるようになった。欧州への庇護申請者数は例年20~30万人を推移していたが、シリア内戦で激増。2014年は約63万人、今年は100万を突破すると予想される。寛容の精神を標ぼうする欧州社会も、あまりの数に悲鳴をあげる。
■これほどの難民がなぜ欧州を目指すのだろう。
欧州は、国連難民条約(1951年および67年)に沿って、欧州連合の基本条約やその後の数多くの法令で、人権擁護の精神に基づいた難民受け入れを推進してきた。
だが、イラク、アフガニスタンなどでの紛争に加え、中東や北アフリカのイスラム社会で起こった「アラブの春」と呼ばれる反政府民主化運動によってその数は増加。近隣諸国(トルコ、レバノン、ヨルダンなど)に身を置きながら第三国への受け入れを待ってきたシリア難民400万人が、季節の良くなる今年春、欧州への大移動を始め、国内難民600万人が後に続くとも言われている。
シリアから欧州を目指す難民の主要ルート© KS Graphics – Michiko Kurita
彼らは当初、南周りで地中海を渡り、イタリアやギリシャの小島に漂着した。欧州連合が沿岸警備を強化すると、夏頃からは、トルコを横断しバルカン半島を北上するルートに毎日数千人が押し寄せた。玄関口となったハンガリーがやむなく国境を閉ざす強硬手段に出ると、迂回してクロアチアへ。
■スマホで情報を得ながらボートや列車で移動する難民
今日のシリア難民の多くは、仲介業者に費用を払ってボートや列車で移動し、スマホを駆使して情報を得ながら、まとまって行動する。目指すは、欧州北部のドイツ、スウェーデンなどだ。すでに入国した難民やネットの情報で、仕事が得やすく、イスラム教系移民に寛容と聞くからだ。
国境検査をなくしたシェンゲン協定
欧州では、シェンゲン協定により合意国間(26カ国)に国境検査がなくなっている。また、シェンゲン圏境界にあたるギリシャやハンガリーなどでも壁があるわけではないので、ゴムボート、列車や徒歩などで簡単に国境を超えられる。
「人道」を掲げた難民たちが一気に押し寄せても、押し返すことも妨害することもできず、彼らを食い物にする悪徳業者を摘発して安全な渡航を見守り、水や食べ物を提供するしかない。
イタリアやギリシャやハンガリーが悲鳴を挙げたのは、EUの法律(ダブリン規則)で、最初に登録を受けた国が、その審査決定に責任ありとされているからだ。登録手続きだけでも、毎日数千人も押し寄せればたちまち処理能力を超える。
仮の滞在許可取得後は、その国に留まることになってはいるが、実際はどこへでも行ける。中には、国際法上の庇護が必要とみなされていない国からの経済難民も多い。IS(イスラム国)は、多くのテロリストを難民に紛れ込ませたと吹聴している。登録を受ける国は、慎重な審査でこうした偽装難民を見破り、本国送還しなければならない。
セルビアからハンガリー国境(シェンゲン圏境)に押し寄せる難民 © European Union, 2015
シリア難民の積極受け入れを推進してきた欧州連合は、昨年から、移民・難民問題を10の優先課題の中に位置づけて担当委員(大臣相当)を設置。今 年春には、「移民・難民アジェンダ」の緊急施策で70億ユーロ以上の予算を付け、周辺国支援に約60億ユーロの拠出を決定。集中する地域に FRONTEX(欧州対外国境管理協力機構)やEASO(欧州庇護支援事務所)などの専門家を動員している。
9月初め、欧州委員会のユンカー委員長は、「我々のほとんどが、かつて、難民だったではないか。我が身を振り返って、正義を貫く時ではないか」と演説して、さらなる人権擁護と結束を力強く呼びかけた。
その結果、加盟国は、ギリシャ、イタリア等に押し寄せている難民のうち16万人を分担して引き受けることに合意した。割り当て数は、各国の人口、 GDP、失業率、庇護申請受理実績などから算出されるが、ドイツ、フランスなどが最多。移民受け入れ数だけでみるなら、英国やイタリアでも多く、人口比換 算すればマルタ、ルクセンブルク、デンマークなどの小国も少なくないが、各国のえり好みと難民側の行きたい国とのマッチングは単純ではない。確かに少子化 による人口減を見越して労働力確保を狙う意図は見え隠れするが、打算以上に人道援助・人権擁護の精神が市民社会に根付いていなければ、移民受け入れは難し い。
EU主要機関を擁する小国ベルギーは
人口1000万人、キリスト教民主主義基盤の強い北部ゲルマン系民族と、社会主義基盤の強い南部ラテン系民族が共存する小さな連邦国家ベルギーは 年6,000人ほどの移民を受け入れているが、8月以来数千人がすでに押し寄せ、第一段階(66,000人)の割り当て分として、ギリシャ、イタリアから 約2,500人が移送される。
現状では庇護登録手続きは1日250人が限界。ブリュッセル北駅前の外国人登録事務所横の公園には、瞬く間に難民テント村ができ、ネット上に「難 民のための市民プラットフォーム」が立ち上がり、赤十字や世界の医療団、一般市民がかかわって難民生活を支援し始めた。地元の大学生は寺子屋を開校し、高 校生がクラス単位でやってきて黙々とゴミ拾いに励む。誰に頼まれたのでもないボランティア市民が、消耗品や衣料品の寄付を運び込む。
2015年10月30日朝日新聞WEBRONZA掲載
ベルギーを代表する観光地ブルージュは、「天井のない美術館」とも呼ばれ、街ごと世界遺産に登録されている。中世そのままの美しい建物、運河、そして石畳の小道に、訪れた人々はしばし都会の喧騒を忘れる。
ビールの歴史に名を連ね、ゾットビールを楽しまない? © Bart Van Tieghem-De Halve Maan
かつて城壁で囲まれていた旧市街――その封じ込められた静けさと美しさを保全するために、市では、条例で旧市街から製造業を締め出してきた。かつて30以上もあったといわれる醸造所は、90年代に一旦は全て火を止めた。しかし、最後まで残ったデゥ・ハーフ・マーン醸造所は、2005年、観光資産として認められ再興。急成長によって、16世紀から続く敷地はあまりにも手狭となり、郊外の工業地域に瓶詰工場を新設したのは2010年のことだ。
その結果、日に何台もの大型トラックが、旧市街の醸造所と郊外の瓶詰工場を行き来しなければならなくなってしまった。中世以来の石畳がきしむ。古都の静けさも、凜とした緑豊かな環境も泣いているようで胸が痛む。そこで、辣腕若社長ザビエルが考えついたのが「パイプライン」。旧市街の醸造所から、郊外の瓶詰工場までの約3㎞を地下パイプラインでつないでしまおうという発想。これなら、世界遺産の古都保全にも、環境保護にも一石二鳥――だが、こんなクリエイティブな妙案に、お堅い古都の面々がなんというだろう。
パイプラインは、旧市街の醸造所から郊外の瓶詰工場を繋ぐ (c)De Halve Maan
「世界遺産の古都を掘るとは何事ぞ!」と非難轟轟かと思いきや、蓋を開けてみると以外な反応が殺到。「ビールの注ぎ口を付けてくれるなら、我が家の下へどうぞ」「いやいやわが社の下を掘っていいよ」との問い合わせが続々。地元のメディアがそれを告げると、BBCも、CNNも駆けつけて、このニュースはたちまち世界中を駆け巡った。これまで道を隔てた反対側程度の距離をつなぐビールの地下パイプラインならいくつか前例があるが、3kmをつなぐ構想は世界で初めて。さらにそれが、古き良きものを守り、環境汚染を減らすなら、良いこと尽くめではないか。実際問題として、地下パイプラインを通過するのは完成したビールではなく、発酵を終えたばかりで瓶詰前の未完成ビール。途中に蛇口をつけて、ビールを取り出せるようにするなんて、衛生上も管理上もできるわけはない。それでも、こんなに多くの人が、古都ブルージュのビール・パイプライン計画に興味を持ち、支援したいと望んでくれるなら、いっそのこと、本当の『参加型プロジェクト』にしてしまおうか。
そこで思いついたのが、クラウドファンディングだ。壮大なパイプライン計画に出資すれば、ブルージュのビールの歴史にあなたも名を連ねることに! 出資額はブロンズ、シルバー、ゴールドの三段階。ゴールド出資者は、生涯ゾットビールが飲みたい放題! シルバーやブロンズの出資では、飲み放題とはないけれど、自分の名前入り特製グラスがもらえ、生涯に渡り、お誕生日に毎年ビールが届いたりするから、ビール好きの大切な人へのユニークなプレゼントとしてなかなか好評だ。
「残念ながら海外からの参加だと送料は自己負担、あるいは、それを理由にブルージュに毎年来ない?」とは、チャーミングな広報のアネリースさんと、スラリとハンサムな輸出担当のスティーブ。東京には、「ブルグス・ゾットカフェ」なる冠ビアレストランもあるから、毎年、そこでお誕生日を祝う口実にできるかも。
このパイプライン計画の費用は、まだ業者による競争入札中で確定していないが、ザビエル社長によれば「おそらく7ケタ、つまり100万ユーロ(約1億4000万円)は必至。」現在までにすでに200人以上がクラウドファンディングに名乗りをあげ、15万ユーロ(2000万円強)を集めた。ザビエル社長は、「フランダースを代表する若手実業家」にも選ばれており、2010年の瓶詰工場建設時にも、多額の融資を楽々と獲得。今回は銀行や大手投資家はもちろんだが世界のビール愛好家や地元市民からのクラウドファンディングに期待する。「古都の地下を走る美味しい夢に参加しない?」―若き実業家ビール野郎のチャレンジングな夢が世界中のファンを惹きつける。
淡々を壮大な夢を語る若社長のザビエル©Michiko Kurita
デゥ・ハーフマーン醸造所の美味しいビールたち©Michiko Kurita
デゥ・ハーフマーン醸造所のクラウドファンディング情報はこちらから。〆切は今年年末。
www.halvemaan.be/crowdfunding
>>>
De Halve Maan 醸造所の他の記事を読む
(PUNTA掲載 2015-10-25)
近年、世界のクラフトビール界では、ホップを利かせたIPAスタイルのビールが人気だ。IPA(India Pale Aleの略称)とは、19世紀始め、英国で、当時植民地であったインド輸出用に造られたエールで、ホップを多用して保存効果を狙い、アルコール度数やや高めの琥珀色上面発酵ビールだ。
ホップを利かせたベルギービールの代表格。前列右からDuvelのTripel Hop(トリプルホップ)、Van Honsebrouck(ヴァンホンセブルック)のKasteel Hoppy(カステール・ホッピー)、Lefevre(ルフェーヴル)のHopus(オピュス)、後列右からDe Ranke(デゥランケ)のXX Bitter (ダブルビター)、Van Eecke(ヴァンエーケ)のhommelbier(ホメルビール)、Het Anker(ヘットアンケル)のHopsijool(ホップシニョール) (c)Michiko Kurita
当時主流だったポーターやスタウトなどの茶褐色エールと比べると、際立ったホップの風味や苦味が人気を博し、その後、カナダ、オーストラリアへ、昨今はアメリカへと伝播。日本でも、慣れ親しんだ味の延長線上にありながら、ありきたりな大手ビールメーカーのラガービールとは一線を画すビールとしてトレンディだ。
IPAブームに呼び起こされて、ベルギーでも10年ほど前から、伝統的なホップ産地近くで造られるビールや、若いクラフト醸造所が冒険的に造るビールがホップを強調し、ここ数年は、中堅どころの醸造所も、相次いでホップを前面に打ち出したラインアップを導入。英国エールと違って、ベルギー流は、その美しい透き通った黄金色と豊かな泡立ちが特徴。豊かな風味や味わいを持つホップを何種類も贅沢に使うので、ただ苦いだけではなく、複雑でうなるほどの豊かな香りと奥深い絶妙な味わいが、感動的ですらある。
ホップの体験収獲から、ホップを利かせた地元ビールの試飲までできるホップ栽培農家Hoppecruyt http://www.hoppecruyt.be/en ©Michiko Kurita
こうしたブームを支えているのがベルギーのホップ栽培農家だ。ホップはそもそも、鎮静効果のある薬草としてフランスの修道院で栽培されたのが起源とされるが、15~16世紀頃から、その保存効果が買われて当時「命の水」とされたビールに使われるようになった。18~19世紀には、ブリュッセル周辺を中心にベルギー全土で4,000ヘクタールも栽培されていたというが、その後、急速な都市化が進み、英国、ドイツ、チェコなどでの大量生産のあおりを受けて、生産量は激減。今では、ベルギー北西端、フランス国境近くのPoperingen (ポープリンゲ)という地域で、合計20の生産者が、栽培面積計150ヘクタールで作っているに過ぎない。しかし、ここ数年は、地産地消ブームも手伝って「ホップどころ」は元気がいい。地元産の良質ホップは、ベルギー中の醸造所からひっぱりだこで、伝統的な品種からソラチ・エースなどの日本種まで精力的にチャレンジ。市の中心には、ホップ・ミュージアムもあり、ホップ栽培の歴史から文化までを、誇り高く科学的に解説する。ホップ栽培農家では、体験収獲やホップを利かせた地元ビールの試飲がパッケージになった嬉しい見学も用意。かつて高収入を求めてやってきた季節労働者の伝統民謡まで歌ってくれるので、今では珍しくなった地元の人々と「濃い」交流ができるお奨めコースだ。
ホップの利いたビールを試飲しながら、陽気なマダムがホップ収獲の民謡まで楽しめる ©Michiko Kurita
ここでは、ビール通ならぜひ知っておきたいホップのトリビア情報もたくさんゲットできる。ホップは雌雄異株の植物。普通、ビールに使われるのは雌花だけ。雄花と交配して結実すると、ベルギービールの命とも言われるきめ細かく豊かで長持ちする泡が立たない。このため、ベルギーでは、ホップの雄株を栽培することは禁止されているそうだが、なんといっても相手は植物。野生化したホップの雄株を法の力で取り締まることはできない。そこで、ある時期になると、ホップ農家はナイフを手に森に入り「雄株征伐」に出かけるのだとか。ちなみに英国エールで泡がほとんどないのは、交配させたホップを使うからだそうで、なんでも英国人は泡の量でだまされたような気になるのがお嫌いらしい。
7~8mもの鉄線に這わせるベルギーの伝統的ホップ栽培© Michiko Kurita
芳香と苦味の秘密「ルプリン」を含むホップの雌花、9月が収獲期だ©Michiko Kurita
ホップは、冬には地下茎だけが残って茎や葉が枯れ落ちる宿根草だ。2月頃に出るホップの新芽が、春を告げる高級食材としてキロ当たり数百ユーロで取引され、地元と高級フランス料理店だけで味わえることをご存知だろうか。
ベルギービールがお好きなら、苦味だけではなく、ホップの芳香と味わいを惜しみなく楽しませてくれるベルギーのホッピーなビールたちをぜひともご賞味いただきたい。そして、本場のホップ農家やホップミュージアムも訪ねれば最高。新芽の珍味を狙うなら早春、収獲体験を目指すなら9月。来年のカレンダーに今から書き込んでほしい。
(PUNTA、2015年9月28日掲載)
日本ではあまり知られていないが、第二次世界大戦における、大西洋戦最大の激戦地はベルギーにある。
外見は簡素、中は非常に充実した「バストーニュ戦争ミュージアム」 (c)Michiko Kurita
1944年6月6日、ナチス・ドイツ軍占領下にあった北西ヨーロッパを解放するために、連合軍がフランス北部ノルマンディー海岸に上陸した作戦は有名だ。多くの死傷者を出しながらも、連合軍は、秋までには、フランス、ベルギー、オランダの諸都市を次々と解放していった。ところがベルギー南東部ドイツ国境際の町バストーニュでは、12月に入ってドイツ軍が逆襲して包囲され、ドイツ軍・連合軍・ベルギー市民合わせて死者4万人以上、負傷・行方不明者合わせて10万人にも及ぶ大激戦となり、欧米ではもっとも悲惨な傷跡として人々の記憶に残る。
外見は簡素、中は非常に充実した「バストーニュ戦争ミュージアム」©Michiko Kurita
昨年この地に、解放70周年を記念して、新しいミュージアムができた。
「バストーニュ戦争ミュージアム」だ。バストーニュは、アルデンヌと呼ばれる緑豊かな丘陵地帯にある田舎町だ。このあたりは、夏は休暇を近場ですごそうと、キャンプやハイキングに来るオランダ人やベルギー人でにぎわうが、近くには駅すらない。かつて町の中心に、米軍の壊れた戦車が放置されているのを見て怪訝に思っていたが、このミュージアムを訪れて、唸らされてしまった。
それは、どこにもありがちな、軍や戦いの歴史やむごさを見せつけるだけではないからだ。町は、日本では無名だが、ベルギー・フランス・ドイツ・ルクセンブルクの境目に位置し、連合軍として戦ったアメリカ・イギリス・カナダなどからも大戦の足跡をたどって多くの人がやってくる場所だ。ミュージアムは、世界中から訪れるさまざまな年齢・経歴・言語文化を持つ人たちをぐいぐい惹きつけて、普遍のテーマを問いかける。経済や政治に翻弄されず、国家や権力者を監視して、その暴走に歯止めをかけられるのは市民ひとり一人ではないかと。
年齢も性別も立場も異なる4人が、訪れた者を、内面的な旅へ案内するという設定だ。その4人とは、ヒットラーを信望する若きドイツ兵、理想に燃えてテキサスからやってきたアメリカ兵、戸惑いながら地下組織化した抵抗運動(レジスタン)に加わる市井の若い女性教師、そして戦いで両親を失う13歳の少年。彼らがそれぞれどんな生い立ちから戦争に巻き込まれ、その時々に何を考えていったかを、セノグラフィー(舞台美術)と3Dテクノロジーを駆使したインタラクティブな趣向で臨場感たっぷりに見せていく。まるで、どこかの小劇場にいながら、自分がその中にのめり込んでいくように。フランスからやってきた高校生の団体やイタリア人の20代の若者グループ、アメリカ人の老夫婦、ドイツ人の家族連れ、誰も無関心ではいられない。
4人の案内人が臨場感を醸し出す ©Bastogne war Museum
ところ変わって、ブリュッセル北部メヘレンという町の周辺にはナチスの保安警察(SS)脚注 参照が、レジスタン運動家を捕えて連行し、過酷な強制労働・拷問を繰り返した
強制収容所や、アウシュビッツなどへ送られるユダヤ人の中継収容所があった。ドイツ侵攻で占領下にはいったベルギーには、国家首脳や軍隊も含め、ナチス側に投降して手先となって働いた者も、危険を押してレジスタン運動に関わった者も、追われるユダヤ人を匿った者も密告した者も、市民や仲間を見捨て逃げた者もいた。極限状態では敵も味方もなく誰もが残酷になり、戦争とは勧善懲悪のきれいごとではないことを考えさせる。今日的な「いじめ」や「差別」の心理も、選民思想やホロコーストと同根ではないかと。
ブリュッセル北部にあるレジスタン強制収容所の入口 ©Michiko Kurita
付近にはユダヤ人の中継収容所もあり、アウシュビッツなどに送られて戻らなかった人々の名前や写真が丁寧に残されている ©Michiko Kurita
欧州では8月15日は終戦記念日ではない。でも、今年は、ちっぽけなベルギーのメディアまでもが、安倍総理に「好戦的な(belliqueux)」という形容詞を用いた。日本人がよくやるピースサインは、実は、ベルギー由来なのをご存知だろうか。BBCのベルギー向け放送で、占領下の同朋に抵抗を呼びかけた「VictoryのV」。市民の連帯を促し、平和をもたらしたサインだ。
市民に連帯を促し、平和をもたらした「ピースサイン」は第二次大戦ベルギーに由来のものだ。©Michiko Kurita
(PUNTA掲載 2015-08-17)
注: ナチスの武装親衛隊で、警察組織と一本化され、ドイツ占領下のヨーロッパ諸国において治安維持、反体制分子摘発、ユダヤ人狩りなどにあたった。