ヨーロッパの小国ベルギー---私が人生の後半を過ごすことになったこの国を皆さんはどの程度ご存知でしょうか。チョコレートやビールが美味しいという以外に、この小国に興味を持つ日本人は少ないでしょう。このベルギーが、「いよいよ分裂・消滅か」と昨今、世界のメディアにちょっぴり登場しているのをご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。
<混乱なき無政府状態>
ベルギーでは、昨年6月の総選挙で連立与党が惨敗した後、異言語を話す民族間・政党間での折り合いがつかず、組閣に手間取って無政府状態が続き、得意の「ベルギー流妥協」によて、とりあえず前内閣が暫定継続するという状態が、ついこの間まで続いていたためです。
それでは国は混乱状態にあるのでしょうか? マスコミでは毎日のように、調整難航が報じられ、議論好きのベルギー人は、政治論議に誘い込めば老若男女いつまででも熱く語るだけの政治意識をもっていますが、市民の日常生活はまるで何事もないかのように平穏に繰り広げられています。「分裂は嫌だ」とアピールする国旗が民家の軒先に目に付くようになった以外、政府がないという異常は感じられないのです。
日本人には想像を絶することですが、そもそも、この国の人々にとって、「ベルギー」という国は、長い歴史の流れの中で、「今は」存在しているのであって、時代の要請に応じて変容していくことは必然の成り行きと思われているのです。ヨーロッパのこのあたりには、有史以来多くの部族が抗争を繰り返し、幾度となく国境が書き換えられてきたのですが、「ベルギー」という国として国境が現在の位置に定められたのは、たった180年前のことでしかないのです。だからまた、いつでも変わりうるのです。
<時間をかけて熟成した民主主義>
このような状況下、この地域の政治・経済現代史をご専門とする日本の学識者と出遭う機会があり、触発されて少し勉強してみたところ、この地味で目立たず面白みもないと思っていた小国は、実は、極めて先進的な政治・経済史を歩み、民主主義が深く根づき、民族・地域社会への分権や人権などの面で進歩的な市民社会のひとつであることがわかってきました。短い180年足らずのベルギー史は、イギリスとほぼ同時期に産業革命を達成し、少し遅れて帝国主義に追従して富と繁栄を手中にしながら、同時に、労働者や民族・言語的な被支配層が議論や運動を繰り返して権利を回復し、数回の憲法改定の後に、平和理に分権・連邦化を実現している世界でも数少ない国なのです。憲法で「個人主義」と同時に「家族重視の価値観」が保障されるこの国では、社会がどんなに激動の中にあろうとも、それとわからぬほど、個人と家族のために費やされるべき時間とエネルギーが大切にされ、誰もそれを侵害せずに、たんたんと社会での役目を果たしているので、外部者には過渡期の波乱が見えにくいのでしょう。
私がこの国に住むようになって18年。女性の就労率の高さ、働く女性・夫婦のための実質的な子育て支援、2歳半から大学教育までが原則無償であること、夫婦の完全別姓、同棲者の権利の保障、臓器移植や安楽死の実践的制度化、王位継承権の男女平等、また、国際社会においては、EUの本拠や2000あまりもの国際機関がこの小さな国に置かれていること等、数々の面で「凄いな」と思ってきたことは、実は偶然ではなく、議論好きで、それでいて、妥協が上手く、異分子を許容し、個人と家庭を大切にする国民性とその足跡の賜物だったのです。
この国は、近い将来、更なる国体の変容を遂げることになるでしょう。邪馬台国に始まる日本の存続を信じて疑いもしない日本人の私には、なんとも物寂しく、なんとか目の黒いうちはこのままでと願ってしまいます。でも、それは、「暴力的な悲劇の分裂」ではなく、「今日的パラダイムに先進的にのっとった、より身近な市民社会への一歩進んだ分権化」(もちろん、今だけを見ているこの国の庶民は、こんな風には自覚していないのですが)に向っての胎動と理解し、内側からしっかり見届けたいと思っています。
(2008年 婦人通信4月号掲載原稿より、多少加筆修正)
にほんブログ村
世界はこんなに広いのに、私は縁あってベルギー人をパートナーに、ベルギーという国に住むことになりました。世界的にも不妊治療に定評あるこのベルギーですが、それでも結局自分達のDNAを継承する子に縁のなかった私達は、不妊医療の自然な選択として、既にこの世のどこかに生まれているのに実の親と生きる縁のない子供をありがたくいただいて、「親のない子と子のない親による家族」を創ることを選んだのでした。1996年のことです。
ところが、喜びに震えて手にした我が子は、4ヶ月に入るというのに、視線も合わない、追視もできない子でした。障害児を持つ親の誰もが経験する、あの恐ろしい現実の探求・絶望・受容への長く苦しい旅路は、私達の場合、ベトナムでこの子を受け取った夜から始まったのでした。あの悶絶するほどの数ヶ月の後に、私達を真っ暗なトンネルから力強く救い出し一筋の希望に導いてくれたのは、ベルギーで「障害児養子縁組」を推進するエマニュエルという機関を主宰するボルドー夫妻とその仲間達でした。夫妻は、おそらく将来歩くどころか我々を認識することすらないであろう我が子を手にうろたえるばかりの私達夫婦を前に、「このままでは貴方達がつぶれてしまいます。この子を私達に託しなさい」と、即座にいとも簡単に言ってのけたのです。何の契約も金銭支払いの約束もなく。「お腹を痛めた実の子なら、give upという選択肢はなかったでしょうに」と打ちひしがれる私には、「実の子だとしても、give upという選択肢はありえます。その子がりっぱに生きる環境を模索して、誰が批判できるでしょう」と力づけてくれるのでした。
私達家族は、息子ジュリアンに出遭い、この子を通してベルギーの障害児福祉や療育に携わる人々に出遭いました。彼らから学ばせてもらったことは、弱いもの、求めるものには与えるという懐の広さ、誰にだって辛いことは辛い、「運命」だとして不運の人や家族に押し付けるのではなく、社会で、それを生業とする人や生きがいとする人達によって皆で分かち合って対応するのが当然という相互扶助の精神でしょう。日本やアメリカでは優れた医学や豊かな経済を背景に、市町村によって、十分なお金を払えば、すばらしい施設や療育を享受できるようですが、ここベルギーでは、「どこに住んでいる」とか「国籍」とかの区別なく、お金がない人もある人も原則として同じチャンスを得ることができるのです。もちろん、外国人として居住する場合は、ここベルギーに税金を支払ってきていないわけですから、ベルギー人とまったく同じ料金で療育を受けられるようになるために、一定期間の居住が条件とされたり、現地の保険システムに加入していないと高額を支払わざるを得なかったりすることはあります。また、親が現地の言葉が話せないために、どうすればいいのかわからなかったり、不利な羽目に陥ったりすることは多々あると思います。でも、それは、健常な親の側の問題。日本に駐在する外国人だって、苦労は相当なはずです。ただ、居住地や外国人であるという理由で、希望の療育施設への入園や入学を拒絶されることはありません。我が家の重症心身障害児の息子ジュリアンは、養子縁組の書類を提出したその日即座に「ベルギー国籍」を付与され、なんと寛大にもその日から、パンク寸前のベルギー健康保険のごやっかいになりはじめました。
国際養子縁組について、日本ではどの程度知られているでしょうか。欧米では国際養子縁組は大変盛んですが、人口1000万人足らずのベルギーでも、多くの養子縁組機関があり、世界各国から年間500組弱の特別養子縁組(完全に実子と同等の権利を付与する縁組)が成立しています。「エマニュエル」は、その中でも、障害児・病児の養子縁組を専門としている特殊な養子縁組機関で、過去20年間に400組以上を成立させてきました。ほぼ24時間介護を必要とするわが息子ジュリアンは、縁あって、このエマニュエルが97年に創設した、重症心身障害児の家庭的ホーム「聖テレジアの家」の一期生として迎えられました。その後、エマニュエルが、いくつかの兄弟施設を統合してCité Notre-Dame de la Vieを完成させ、現在は日常そこで暮らしています。彼らは、どんなに障害の酷い子供にも、「病院」でなく「家庭」を、単なる「医療」ではなく、「人としてのQuality of Life」を、と訴えかけています。私達夫婦は「障害孤児にも暖かい家庭を」という彼らの精神に賛同し、考えに考えた末、それを財政的に援助する非営利民間団体「ネロとパトラッシュ基金」を起こし運営することにしました。2004年に乳癌を患い、活動は控ローキーになってしまいましたが、それでも「継続は力なり」と皆様のおかげでなんとか今日まで続けています。(詳しくは、www.multilines.be/npをご覧下さい)
ベルギーはヨーロッパのちっぽけな国で、目立たない国です。その上、言語環境や行政などが複雑で、また、アングロサクソンに比べて地味で非開放的な国民性も手伝って、最初はとっつきの悪い国かもしれません。でも、ご存知でしょうか。ベルギーは、アメリカのFORTUNE誌やWHOが行った医療比較調査でも高順位につけ、2003年始め英国の調査機関ワールド・マーケット・リサーチセンター(WMRC)が行った「世界健康度調査」ではなんと一位に評価された国(ちなみに日本は20位)です。
そんなベルギーに住み、さまざまな経験を通して見聞き感じたことを綴っていきたいと思うのです。
にほんブログ村
にほんブログ村