ダイヤ略奪事件の起きたブリュッセル国際空港の表示板 (2016年3月には、テロ襲撃で再び注目されることに…)
2013年6月、ブリュッセルの国際空港で、史上最大のダイヤ略奪事件が発生した。2月18日の月曜日、夜8時ごろ、スイスへ向かう航空機に積み込み中だった大量のダイヤが略奪されたのだ。推定被害総額3700万ユーロ(約48億円)。にもかかわらず、報道は控えめで、センセーショナルなルポも続報もほとんどない。事件はまだ真相解明に至っていないが、このハリウッド映画まがいの国際窃盗事件を解説してみたい。
■ダイヤ強盗の背景
ベルギー北部の古い貿易都市アントワープは、テルアビブ、ニューヨークと並ぶ、ダイヤの世界三大市場だ。アントワープ駅に隣接するほんの1平方キロメートルほどのダイヤ取引地域に、アントワープ・ワールド・ダイヤモンド・センター(AWDC)という組合と、会員制の大きな取引所が4ヶ所(世界に21ヶ所)、小規模な取引が行われる場所が無数に存在する。世界のダイヤ取引量の7割(原石の8割、研磨済みダイヤの5割)がここを通過するといわれ、その取引高は、一日平均2億ドル(約200億円)にも昇る。ダイヤ取引には、かつてはユダヤ人、今日ではインド人商人が多く関わり、高額ダイヤの取引のために高度の治安秩序が保たれている。
原石の多くはアフリカ、ロシア、カナダが原産で、ここで売買された後、インドやイスラエルに送られてカット・研磨される。その後再びアントワープに戻して売買され、中国、スイス、アメリカへ送られる。膨大な原石または研磨済みのダイヤが、アントワープ近辺の空港に離着陸する航空機でルーチン的に運ばれている。
■犯行はどのように行われたのか
大胆な窃盗事件は、ブリュッセル国際空港で起こった。警察を装って二台の車に分乗して現れた8人組みの窃盗団によって、一発の発砲もなく、ほんの15分程度の間に実行され(犯行時間はそのうち5分)、乗員乗客は誰ひとりとして気づくものはなかった。犯行に用いられたベンツのヴァンと乗用車は、黒に塗られ、青いランプをつけて警察車両を装っていたという。
狙われたのと同じBrinks社の貴金属専門輸送車。一般道から空港内へ乗り入れられる特別許可を持っている。
犯人グループはあらかじめ人通りの少ない空港西側の端のフェンスに穴を開け、二台の車はそこから侵入してセキュリティ遮断機を突破し、積み込み中のスイスの航空会社Helvetic Airwaysの航空機に近寄った。このとき、アントワープからダイヤを運んできた専用車からの積み込みはすでに終わっていたが、犯人は作業員を脅して積み荷を降ろさせ、120ケースを奪って逃走したという。
彼らは覆面を被り、戦闘銃などで武装していたが、特に騒ぎ立てることもなく、ダイヤを奪うと速やかに立ち去った。計画遂行の後は、同じ経路から逃走したとされ、犯行に使われたヴァンは、事件後まもなく空港からそれほど遠くないところで焼き捨てられているのが発見された。
検察報道官の見立てでは、「綿密な計画に基づくプロの窃盗団による犯行」だという。空港当局は、安全対策に特にぬかりはないとコメントしているが、アントワープのダイヤモンド関係者は、「安全性が揺らぐとダイヤ市場としての競争力を失う」と懸念する。
推定される窃盗団の空港敷地内侵入経路 (c) KS Graphics
侵入したとされる西側のゲート付近
■ダイヤは足が着きにくい
美術品窃盗の場合、売買が難しい上、足がつきやすい。しかし、ダイヤの場合、売るのが簡単な上、盗品であることを証明しにくい。
原石を輸出する場合は、国際的な組織犯罪を防ぐために、キンバリー・プロセスに基づく原産地証明書の添付が義務付けられる。しかし、非加盟国も多く、また一旦原産国を出て研磨されてしまえば証明書は不要となる。
今日、ダイヤのカットや研磨は、9割がインド、残りは中国、イスラエル、アメリカなどで行われている。今回盗まれたものの大半はラフカット(粗くカットされた原石)といわれているが、犯人がインドなどに盗品を持ち込むことに成功し、研磨してしまえば、後はどこへでも流通させることができる。また、何度か偽装売買を行えば、盗品を見極めることは不可能に近くなるという。ダイヤ、特にラフカットや原石は、足のつきにくい、現金化しやすい獲物なのだ。
■捜査に進展
その後、事件に関するニュースは一切なかったが、5月8日になって、突然続報が流れた。250人の捜査官が40軒の家宅捜索をした結果、前日の7日にスイスで6人、フランスで1人、8日にはベルギーで24人、合計31人余りを逮捕し、スイスでは盗まれたダイヤの一部、ベルギーでは大量の現金を押収したと発表されたのだ。
これらの容疑者は、犯罪歴を持つものが多く、国際的な組織窃盗にかかわって連携している可能性が高い。しかし、犯人の詳細や逮捕に至った経緯などについては一切公表されず、国内のマスコミには、ダイヤ評価4C基準(Carat、Colour, Clarify, Cut)になぞらえて「Colour とClarity に欠く(詳細や透明性に欠く)」と批判された。
大方の予想に反し、「プロ」が比較的早く尻尾を出すことになったのは、あまりにも多くの人間が関与しすぎたためではないかという。分け前の分配から仲間割れが生じたり、目立ったぜいたく品の購入が逮捕の糸口となる場合は多い。また、空港関係者の中に共犯者か、犯人の一部と懇意な者がいる可能性は高く、そこから割り出されていったのではないかとも考えられる。
盗まれたダイヤのほとんどはラフカットだったが、今回スイスで見つかった研磨済みダイヤには、驚いたことに鑑定書類などが残されていたらしく、それが捜索の手がかりとなったとの情報もある。
6月14日、この事件の捜査や容疑者の逮捕に大きく貢献しているモロッコ警察からの情報が流れた。被害額は、当初発表の3700万EURの約8倍にあたる、3億EUR(約400億円)に上るのではないかという。
AWDCはこの数字を否定しているが、ベルギー警察は現在検証中と発表。関係筋では、アントワープ市場の信用を失わないためなどの理由で被害額を過小発表しているが、これが本当であれば、2005年オランダ・スキポール空港で起きた事件(推定被害総額1億1800万ドル、約120億円)を抜いて、史上最大規模のダイヤ略奪事件ということになる。
■繰り返される大窃盗事件と、ベルギーという摩訶不思議な犯罪天国
2003年2月中旬の週末、AWDC地下金庫室から、当時の推定総額で1億ドル(約100億円)とされるダイヤが盗まれた。最先端防犯装置を施された金庫室は、「決して破れない」と定評があったところで、事件後のニュースなどで解説された様子は、まさに、映画かゲームの世界のようだった。主犯レオナルド・ノタルバルトロは、イタリアのダイヤ取引人を装って、3年以上前からこの作戦を進めていたという。『トリノ団』と呼ばれる窃盗グループに属していた彼は、懲役10年を宣告されたが、すでに仮釈放となっている。
ベルギーでは、多くの死傷者が出るようなテロや凶悪事件は少ない。だが、時折起こる緻密な美術品窃盗や脱獄事件など、巷を驚かせる。フェルメールの名画「恋文」は、ブリュッセルでの展覧会中に忽然と姿を消した。ヘリコプターを使った白昼堂々の大掛かりな脱獄劇が成功したこともある。保険づくめで誰一人として窮地に落としこまれることのない顛末や手口の見事さは、ハリウッド映画さながらである。この史上最大のダイヤ略奪事件、解明はいかなる展開を見せるのだろうか。
<2013年5月24日朝日デジタルWEBRONZA初出掲載>