90年来初頭以来、世界の農業が依存してきた『ネオニコチノイド系農薬』。ミツバチの大量死との関連を重く見た欧州連合が、その禁止を決定したのは昨年5月。フィンランド、ルーマニアなどごく一部に例外が認められているものの、12月からネオニコなき農業がスタートしている。
2年後の見直しに向けて、農業者やメーカーばかりでなく、官僚・政治家、世界中の研究者、環境団体などが「授粉生物の保全と近未来の農業」を懸命に模索する。一方、ネオニコ農薬メーカーを抱える日本では、依然として、水田への空中散布などが盛んに行われ、政府は規制どころか緩和・推奨路線を走っている。
菜種畑のパッチワークが広がる欧州の春。2014年のネオニコ農薬禁止を受けて、この花畑に、ネオニコ種子は使われていない
菜種畑の黄色いパッチワークが見渡す限り延々と広がる欧州の春。のどかな風景だが、今年は例年にない懸念がある。近くを通ると、蜂たちがたくさんいるかと思わず見回してしまう。というのも、この菜種には、ネオニコ処理種子が使われていないからだ。農薬メーカーや養蜂業者、菜種・トウモロコシ・ひまわりなどの生産農業者を含め、多くの関係者が、今後の農業生産と蜂の動向を固唾を呑んで見つめている。
今年1月、ロンドンで開かれた「農薬が及ぼす蜂の健康への影響」と題する学会を取材した。幅広い学界や農薬メーカーからの研究者がプレゼンし、養蜂業者、政府関係者、NGOスタッフも参加した。また、インターネット回線を使って一般市民も含めた討議が行われ、活発な議論が展開された。このような学会は、今年次々と続く。4月初めにはブリュッセルで、9月にはスペインで開催の予定だ。世界中の関係者が互いの知見を共有し、この問題に解決の糸口を探そうとする意欲がひしひしと伝わる。
EU主催会議で演説するトニオ・ボルジ氏。ネオニコ禁止決定の中心人物だ。(c) European Union 2014
一方、ネオニコ農薬禁止を主導したEU委員会の保健・消費者総局も精力的に動いている。4月7日には、国際会議「蜂の健康を改善するために」が開催された。トニオ・ボルジ委員は、冒頭のスピーチで、EUが持つ全ての科学リソースを駆使し、同時に、加盟各国でもあらゆるイニシアティブを歓迎する意向を表明した。
昨年4月の禁止決定時点では、根拠となる調査研究データ不足や経済とのバランス感覚に欠ける勇み足などという声もあったが、この国際会議では、欧州の豊かな科学インフラや層の厚い科学者層が、次々と最新成果と政策提言を行った。禁止決定に深く関与したEFSA(欧州食品安全機関、リスク評価を行う諮問機関)、欧州連合自前の基礎研究機関JRC(共同研究センター、その傘下の「蜂の健康基礎研究所」がプロジェクト「Epilobee」で17ヶ国モニター調査を実施)、EU予算による多国間連携プロジェクトSTEP(欧州の授粉動物の現状と動向)などが中核となる。
同じEU内でも別の立場を代表する農業総局や欧州議会農業評議会もそれぞれの観点を発表。国際養蜂家連盟、アメリカ農務省蜂研究所、ECPA(欧州農薬メーカー業界団体)なども招かれてそれぞれの知見や立場を述べた。会議の模様は終日インターネットを介してライブ放映され、プレゼン資料は保健・消費者総局のサイトから誰でもダウンロードすることができる。28カ国が関わる巨大組織にも関わらず、大規模で多角的な知見収集の計画力、運営力、そして情報の公開性にうならされる。
STEPの中心人物S.ポッツ博士
STEPプロジェクトのリーダーを務める英国レディング大学のS.ポッツ教授(農業政策・農業開発学)に話を聞いた。教授によれば、蜂の大量死に、ネオニコ系農薬ばかりでなく、寄生虫や病原菌、気候変化や乱開発などの複数要因が関与していることは、今や関係者の共通認識となっている。
また、最近の調査報告では、ミツバチに限ってみれば、一斉に激減しているわけではないこともわかってきた。しかし、授粉生物は農業生産の75%に必要不可欠で、そのうち、ミツバチが担うのは60%ほどでしかない。近未来のバイオ燃料需要を考えれば、授粉生物は絶対不足に陥る。野生の授粉生物も含め、今、積極的な保全政策をとらなければ、地球の農業や経済全体への影響はあまりに大きい。教授は「蜂の代わりに、人間の手で授粉した高価なリンゴが買えるのは日本人くらいだから…」と苦笑した。
ところで、ヨーロッパの強い危機感に対し、なぜアメリカが禁止に動かないのか。アメリカ農務省のJ.ペティス博士は、次のように説明する。ネオニコ農薬に蜂の減少の全責任はなくとも、主犯の一角であることは疑いの余地はない。しかしアメリカでは、責任がはっきり証明されない限り一度認可された製品を禁止することは政府にはできない。
欧州では、『予防・予測原則』という明文化された法的根拠がある。「たとえ証拠が不十分でも、可逆性のない案件については、予防・予測原則を適応する」というものだ。アメリカでの政策が、ネオニコ農薬に「厳重な警告マーク」添付を義務づけるに留まっているのは、社会制度の違いなのだという。
農薬メーカーはこれまで以上に難しい立場に追い込まれている。環境派市民が政策を左右する力を持つ欧州では、EUの新しい農業政策上で、農業従事者を「緑の管理者」として再定義し、化学農薬メーカーは嫌われ者だ。業界では、農薬を「農作物保護製品」と呼び、環境に貢献する社会の構成員として、多大な予算をかけたコミュニケーション努力を惜しまない。
欧州農薬メーカー業界団体のJ-C.ボケ氏は言う。「かつて農薬メーカーは、どうせ解ってもらえないと口を閉じていた。でも、それではだめだと悟った。業界としても、また各メーカーレベルでも、授粉生物の課題に積極的に取り組み、発信しているのです」。
一連の学会や国際会議には、シンジェンタやバイエルの専門家が独自の研究成果を発表し、厳しい批判にも理路整然と反論していたのが印象的だった。2年のモラトリアム期間には、2社共同で、欧州5カ国授粉生物モニター調査を実施し、取材も受け入れるという。
「ミツバチが命を賭けて警告し、世界中の科学者や関係者を動かしている」。これは、取材中、何人かから聞いたコメントだ。日本のメディアでも、ネオニコ農薬漬けを警告する記事が散見される。しかし、欧州での学会や国際会議の席に、日本からの参加者は見かけなかった。
着々と集められる貴重なデータや知見を、リアルタイムで理解し、それを受けて追実験を重ね、世界に向けて発信し、開発や政策に反映させようという研究者や、官僚や政治家、環境市民団体が存在しないのは残念だ。
<2014年5月20日、朝日デジタル、WEBRONZA初出掲載>