一人の欧州市民の憂鬱
この原稿を書いている五月。フランスでは、社会党のオランド氏が、自国を含むEU25ヵ国で合意したばかりの歳出引き締め政策に真っ向から反対して、大統領に当選。ギリシャ総選挙では急進左派連合が躍進して、連立政権樹立に難航。六月再選挙となれば、いよいよ加盟国初の破産、ユーロ圏離脱が現実味を帯びます。昨年来、ユーロ圏では政権交代が相次ぎ、2002年の導入以来、順風満帆だった通貨ユーロは、とうとう暗礁に乗り上げたかのように報じられています。私はここで加盟各国の政策の是非や欧州連合の対応と通貨ユーロの行方について論じるつもりはありません。
ただ、戦後間もない1950年台から、欧州人の知恵と議論を重ねて築いてきたユートピア・欧州連合が、経済の好不況や加盟国の政権交代に、これほど揺さぶられる脆弱なものであっていいのかと、なんとも言えない葛藤と憂鬱に苛まれているのです。
欧州の一般市民や外国人にはなかなか実感しにくいのですが、二七ヵ国が加盟する欧州連合は、国連とかASEAN(東南アジア諸国連合)などとは全く異質なものです。常任の大統領、政府にあたる閣僚理事会、省官庁にあたる欧州委員会、加盟各国から選出された七百名を越える議員を擁する欧州議会、欧州裁判所、中央銀行など、本来「国家」が持つ機構を全て持つ『国の上に位置する上位連合』であり、全加盟国からの数万人の公務員を抱える巨大な行政機構が、常時政策を執行しているのです。五〇年以上の歳月をかけ、数千もの条約・法律を積み重ねて築かれてきた、この「国の上の国」いう実体は、加盟国それぞれの事情で、前に合意したことを反故にしたり、出たり入ったりできる任意会員制クラブのようなものではないはずなのです。
もうひとつの憂鬱の種は、ヨーロッパ全体が直面している長期不況と失業問題という逆境の中で、左派と同時に、実は急進右派も台頭している事実です。彼らは異質なものに対して極端に排他的で、欧州連合とは理念上全く相反するのです。最近の調査では、極右勢力はFacebookなどインターネット上のソーシャルツールを駆使した若者の取り込みがうまく、中長期的視野やバランス感覚に欠けがちな未成年者が支持基盤の過半数を構成しているとさえ報告されています。
私が思うには、欧州の大衆は大人であっても、短期・自分中心発想が強く、「今、ここ、私」への解決策を求めて熱狂的になりやすいと思うのです。現在のような逆境ではことさらです。「今は痛みを伴うが、長期的・社会全般的には最善策」を掲げても票は得られず、仮想敵を設けてスケープゴードにし、非現実的でも美味しい公約を連呼すれば、内輪の結束が進み、得票につながるのです。今、欧州連合やユーロ、そして経済好調のドイツ、外国人や富裕層が、大衆の怒りをかわす都合のよいスケープゴードにされているとさえ感じます。

(c) counsil of European Comission
私は、実際にユーロを使って欧州の小国ベルギーに生きる一市民として、欧州連合やユーロによる恩恵を実感してきました。構造格差のある加盟国に投じられるお金も、財政支援のお金も、欧州市民の血税と全世界からの借金です。後戻りするにもまた、大きな痛みを伴うことを、大衆ははっきりと知らされるべきでしょう。
どこの社会であっても、個人や企業の観念に戻れば、「景気悪いから、借金してじゃんじゃん使おう」とか、「借金返せないけど、倹約は辛いから、また借してくれない?」ではすまない…今日もニュースを見ながら憂鬱に陥ります。欧州連合本部のお膝元ベルギーで、欧州委員会や議会堂の圧倒されるような建物を間近に仰ぎ見ながら。
<婦人通信 2012年7月号掲載>