震災から一年を経て
日本人の誰もが、いや世界中の誰もがテレビの映像に釘付けとなり固唾を飲んだ、あの震災から、はや一年。ここベルギーでもいくつもの追悼イベントが行われ、テレビや新聞・雑誌では、一年後の詳しい特集が組まれました。
私はここ数ヶ月、日本のテレビのために、ヨーロッパ各国で放映された震災関連番組をリサーチしたり、震災を体験してヨーロッパに帰って来た方の取材などを手伝い、逆に、ヨーロッパから震災一周年の取材のために東北入りする取材陣のために、東北の現状を調べたり、取材要請をしたりに追われてきました。こうした業務を通して、また、私自身の震災支援活動や追悼イベント準備を通して、痛切に感じ驚いたのは、被災地に直接関係のない日本人の多くが、この震災を遠くで起きた過去の出来事のように認識し、当事者意識が乏しいことでした。日本とは無縁の外国人でも、チェルノブイリやスリーマイル島事故以来、放射能が風に乗って地球の裏まで届いてしまう恐怖や、為政者が被災者を守らない理不尽さなどに敏感で、地球市民として連帯感を強めているというのに。
3.11前後の一週間は、日本も特集ばかりだったようですが、「日本人っていいね」「がんばってるね」というような情緒的な内向きトーンのものが、少なくともゴールデンタイムには目だっていたようです。
一方、海外では、日本人の不屈な自助努力に賞賛しながらも、行政の復興支援が遅れていること、特に福島原発事故については、その責任が追求されていないこと、放射能拡散で予測される健康や社会全体への被害などを深く掘り下げた徹底的にまじめな特集が目立ちました。
もちろん、欧米と言っても立場は様々です。日本と同じように、原発ビジネスが国の基幹産業である仏・米・英などは、原発事故の責任問題には触れず、ドラマチックな津波被害の映像や、健気に立ち直ろうとする被災者の姿を情緒的に扱ったものが多かったようです。一方、たとえ、電力供給面で困難が予想され経済停滞が心配されても、国民の健康のために、原発は辞めると大英断を下してしまったドイツやベルギーなどでは、日本で責任問題がうやむやになっていること、放射能拡散の実態、内部被爆による被害などを鋭く分析する内容が多かったのです。
たとえば、
ドイツのZDFによる「フクシマの嘘」は、日本語字幕付きで視聴できます。http://www.dailymotion.com/video/xpisys_yyyzdf-yyyyyyy_news
普段はあまりぱっとしないベルギーのマスコミの論調が非常に辛口で、「日本では、東電などの大手企業が政府や大手マスコミを操っているので、情報は管理されて、大衆は見事に現実逃避させられている」「民主主義の危機だ」とまで言っていたのは衝撃的でした。
私は、日本のテレビや広告の世界で生きてきたので、「視聴率」と「スポンサーの都合」で内容が決まっていく現実を見てきましたが、ここまで露骨になったのは始めてではないでしょうか。東京電力の2010年単独広告宣伝費は約270億円で、テレビ業界にとっては、トップ十傑の大広告主。テレビ局はどこも、東京電力に都合の悪いことは言えないのです。
我々は、「日本は経済優先だから」とあきらめ半分に言うことに慣らされていないでしょうか。これをもう少し下世話な平たい表現で言うならば、「庶民の健康よりも、金儲けが大事だから」となるのでしょうか。日本はそんな社会だということを我々国民が自嘲的にしろ認めてしまってよいのでしょうか。
三月十一日は、珍しく澄み切った青空の日曜。我が家に近い森の中で、ベルギー人僧侶、忍銛(じんせん)さんの般若心経がこだましました。祖国の被災地に思いを馳せて、合掌。
<婦人通信 2012年5月号掲載>