巨匠たちと同じ空の下で(その2)
取材コーディネートの仕事がきっかけとなって、フェルメールに関心を持つようになった私は、仕事が一段落したある週末、ふらりと電車に乗って、隣国オランダへフェルメール探訪に出かけることにしました。
目指したのは、アムステルダムのレイクス国立美術館《牛乳を注ぐ女》《恋文》、もう一点の《手紙を読む青衣の女》は日本を巡回中)、デンハーグのマウリッツハウス美術館(《ダイアナとニンフたち》《真珠の耳飾りの少女》《デルフト眺望》、そして彼が生涯を過ごし、三十七点全ての作品を描いたデルフト。直前に訪れたロンドン・ナショナルギャラリーの《ヴァージナルの前に立つ女》《ヴァージナルの前に座る女》と合わせると、一ヶ月で七点を集中的に観たことになります。
正直、私は絵画や美術鑑賞の素養のない素人です。それでも、「もっと見たい!」と思わせたのは、ずい分前に見た《牛乳を注ぐ女》で、今にも滴り出てくるミルクの描写があまりにも印象的だったこと、そして、北ヨーロッパらしい柔らかい採光を巧みに取り入れた独特の絵柄を解明してみたかったからでしょう。
フェルメールが生まれ育ち、結婚し、多くの子供に恵まれ、画商として、画家として、芸術家ギルドの役員として生きたデルフトは、運河に囲まれた本当にちっぽけなかわいらしい街でした。ベニスよりも、ブリュージュよりも、ぐっと小さなこの街が、実は、17世紀には、オランダ黄金時代の中心地だったとは認識していませんでした。
フェルメールが生きた同じ時代、この小さな街には、日本にまで商船を出して交易で潤ったオランダ東インド会社の商人達が闊歩し、有田焼の影響を受けたデルフト焼の工芸技術が進み、航海術や天文学、地理学、解剖学や微生物学などで技術革新や新発見に沸く学者達がたくさん住んでいたのです。
生涯をこの小さなデルフトだけで生きたフェルメールは、海の向こうの知見を語る商人や新たな発明に興奮する科学者らと親交を持ち、啓蒙・触発されていたに違いありません。
一方、ルターやカルヴァンなどの名で、世界史で学ぶ宗教改革の波は、デルフトにも及び、プロテスタント化が進みます。プロテスタントは偶像崇拝を嫌い、宗教芸術を否定したので、芸術家達は、「教会」という有史以来の大顧客を失い、始めて裕福な商人などの一般人相手に、「売れる絵」を描かねらならないという大転換期を迎えます。フェルメールにキリスト教題材の絵がほとんどなく、同じような構図、同じような題材の生活風景画が多いのは、こうした絵に人気があり、買い手が着いたからに他ならないのです。しかし、一見、宗教とは無関係に見える生活画の中に、シンボル化したキリスト教のアイコンや、メッセージが込められていることも、宗教芸術や偶像が否定されればされるほど、当然の流れと言えるのでしょう。
フェルメールが愛用したラピスラズリという鉱石から取る青い顔料。チューブ入りの絵の具などなかった当時、顔料や溶剤に貴重な鉱石や薬品を調達して、独自の色を作り出すこと自体が、科学や技術そのものであり、職人芸と言えたのでしょう。画家もまた、科学者であり、商人であった時代。閉ざされて開かれた街デルフトの眺望の前で、数百年前に思いを馳せたのでした。
婦人通信2011年10月号掲載