巨匠達と同じ空の下で
ここのところ、友人ジャーナリストや番組制作ロケのお手伝いで、巨匠達の足跡を辿る機会がありました。
もともと絵心のなかった私は、日本に住んだ三十代始めまで、美術作品に慣れ親しむことも、愉しむ目を培う機会もなく過ごしていたのですが、このぱっとしない欧州の小国に住み、大きな空の下、深々とした緑に囲まれて暮らすようになってから、眠っていた何かが呼び起こされ、絵画の名作や巨匠が身近に感じられるようになりました。
ルネ・マグリットはベルギーが誇る二十世紀シュールリアリズムの巨匠。キャンバスの大半を占める青い大きな空と綺麗に並んだ白い雲。その空が、ある時は羽ばたく鳩の形に切り取られ、ある時は大きな岩を浮かべています。夕暮れ時のぞくぞくするほど美しい群青色の空。その下にぽっと灯った白壁の家の門灯が郷愁をそそります。こうした微妙な色あいや超現実的光景は、私の生活の一齣のように感じられます。
美術の教科書で見た十六世紀、十七世紀絵画の世界ですら、ほとんど何も変わらぬまま、私の日常生活や周辺の景色の中に生きています。ブリューゲルが描いた世界は、ブリュッセル北西部の教会や農村のあちこちに見られ、絵に出てくる調度品や食器類は、今も現役で使われていたりします。
画家として外交官として大活躍したルーベンス。ブリュッセルの北に残る晩年の居城を訪れると、親子ほども年の離れた愛妻エレーヌと五人の子供たちに囲まれて静かにすごした晩年の幸せが伝わってきます。
大空にどんよりとしたねずみ色の低い雲が垂れ下がり、その隙間から、強い太陽光が差し込む―この「神のお告げ」を思わせる光景は、レンブラントが描いた世界そのものなのです。
今話題のフェルメールも、根強い人気のゴッホも「オランダ人」なので、ベルギーとは無関係と思われるかもしれません。でも、当時の巨匠達は今日の国境など関係なく、このあたりに生きて描き、愛好家達に育まれたのです。
オランダ生まれのゴッホは、代々の牧師という、当時としては教養高い家柄に生まれ、始め美術商になることを志してロンドンに渡ったものの挫折。その後、ブリュッセルの宣教師学校に通い、1878年末ベルギー南部(フランス語圏)の炭鉱町で、鉱夫達とともに過酷な労働に耐え、極貧生活を送りながら宣教していたことは、日本ではあまり知られていません。ゴッホはここでも失格になり、失意のどん底から、画家を目指すことになったのです。この絶望から絵筆に光を見出していくゴッホの葛藤は、寂れたままの炭鉱町の家並みやボタ山、そして今も残るゴッホが暮らした下宿家から切々と伝わって来るのです。
ゴッホ作「掘る人(ミレーによる)」
ベルギー南部の炭鉱町キュエムにある「ゴッホの家」所蔵
その後、ゴッホは画家としてフランスに渡り、その作風に浮世絵の影響を受けたりしたので、私ばかりでなく、多くの日本人の琴線に訴えるものがあるのかもしれません。しかし、厳しく貧しい生活の中から光を見出していったゴッホの心の変遷を、日本人である私が、同じ目線で実感できるのは、私が今、同じ空の下に生きているからではないかと思うのです。
日本では、数年前から大人気のフェルメールもオランダ人。京都や東京で開かれる展覧会に合わせて特番を組んだ民放テレビ局からリサーチの依頼が来ました。2004年新たにフェルメールの真作と判定された「ヴァージナルの前に座る若い女」。これを所有していた美術商を探し出し、インタビューしたいと。この絵を真作と直感して愛しみ、数十年の歳月をかけて、世界の専門家を介してホンモノと証明させた故男爵はベルギー人。彼の心眼を培った同じ空の下に今日私も生きています。
婦人通信 2011年9月号掲載