国境を越えて旅すれば
10月号に引き続き、この夏の『欧州縦断3週間5000キロクロアチア旅行』をテーマに、今回は家族旅行記風に書いてみます。辿った道筋は(10月号掲載地図参照)、ベルギーからドイツをミュンヘンへ。その後、オーストリア・ザルツブルグを通過してから南下。スロベニア経由で目的地クロアチアへ。クロアチア北部で1週間を過ごした後、北イタリアを横断しフランス・ヴァランス滞在後、北上して帰宅。
ベルギー人はよく旅をします。不況と労働運動の末に勝ち取った長い休暇(年間4週間)を利用し、職場での夏休み調整が必要なので1年以上前から計画。長期休暇を狙った空き巣狙いも多いので、アラームの点検や警備会社への連絡、新聞や郵便物、ごみ、花の水遣り、ペットホテルの段取りに余念がありません。我が家には、普段、介護ホームで生活している重度障害児の息子がいますが、夏休み中も運営しているので、安心して出かけることができます。
8月29日、早朝から荷物を車に積み込み、午前10時出発。ベルギーの夏には珍しい真夏の日差しに、後ろ髪を引かれながら、一路、ミュンヘンへ8時間。ベルギー人は、2度の大戦で抜き打ち侵攻してきた隣国ドイツを休暇の目的地とはしない。日本人の私は、ゼラニウムが窓辺を飾る白い壁の家並みや、地場産業を象徴する村々のマイボウムの回りで地ビールを飲むのも大好き。わが娘に、市庁舎のからくり時計を見せ、6歳のモーツァルトが演奏したバイエルン国王の離宮「ニンフェンブルグ城」を訪ね、ホフブロイハウスの中庭で大判プレッツェルをかじる。ミュンヘン在住10年のベルギー人友人宅に滞在。ベルギー人のドイツ人談義が面白い。ドイツの都市近郊住宅地では、家は広く実用的に建てられているが、ベルギーに比べ区画が小さく庭が狭い。各家庭ではパンの電動スライサーと水道水への炭酸充填機が必需品とか。-
8月1日(金)ドイツ南部は学校の夏休みが8月から。この週末は大渋滞との警告に怯え早朝出発。順調にオーストリア、スロベニアを通過。暑い。久しぶりに標識がわからない国へ。夕方明るいうちに、目的にオパチアに到着。
8月2日(日)~8日(金)ハプスブルグ家最初の保養地オパチアは、クロアチア北部アドリア海に面して突き出したイストラ半島の東側にある。われわれの滞在先は、内戦をアメリカに逃れ、95年に戻ったというクロアチア女性が経営するリゾートアパート。イストラ半島の東側は、歴史的にオーストリア・ハンガリーの影響が強く、西側はローマ帝国やヴェネツィアの支配時代が長く、イタリア文化が強く感じられる。90余りの幻想的な滝で世界遺産となっているプリトヴィッツァ国立公園は、内陸セルビアとの国境付近に位置し、そこまでの道中、銃撃戦の跡が生々しく残る家々を垣間見た。アパートの家主は、あの時代を想うと鳥肌が立つと顔をしかめた。
8月9日(土)イストラ半島西岸をアドリア海沿いに行くと、すぐイタリアの都市トリエステ。東西冷戦時、東側ユーゴスラビアとイタリアはこんなにも近かったのか。アルプス沿いに北イタリアを西に向うと、コモ湖、ルガーノ湖などのある湖水地方へ。小さいはずのイゼオ湖は大きい。人里離れた湖畔から、山と湖の景観は神秘に満ちている。
8月11日(月)アルプスをトンネルで通過し、フランスアルプスの拠点グルノーブルへ。気温は突然20℃を切り横殴りの雨が冷たい。リヨンの南にある中都市ヴァレンスの友人家滞在。どこからどこまでが敷地かわからない典型的南フランス大きな田舎家。庭にはプール、裏庭には大木の幹の合間に子供達の隠れ家とハンモック。何はなくとも食後のチーズは欠かせない。来客の多いこの家では「リーブル・ドール」(宿帳)が誇らしい。
8月14日(金)懐かしい我が家への帰宅を楽しみに高速道路を北上。この週末から南仏へと旅立つパリジャンで渋滞する対向車線を涼しく眺めながらの8時間。充実した旅を無事に終えた満足感に浸りながら。
(婦人通信2008年11月号掲載)
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