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『とりあえず、ベルギービール概論』
「とりあえず、ビール!」と飲み干す大ジョッキー!――とは無縁の情けないベルギーの夏が終わり、「じっくり味わう」ベルギービールの美味しい季節がやってきます。われらがベルギーを代表するビール会社InBevが、かの有名なBudwiserのアンハイザーブッシュを買収して、世界ランキングトップとなってしまった記念すべき2008年。
昔々、日本にはまだベルギービールなどという認知がまったくなかった頃、このヨーロッパの小国に留まることになり、何をしたものかと指南していた私は、日本にDuvelやHoegaardenのサンプルを持って行って行商よろしくウロウロしているうちに、見かねた知人に某酒造メーカーの社長さんを紹介され、ベルギービール対日輸出の世界に。以来20年弱。最初は数パレットでこわごわやっていた輸出が、年100コンテナを優に越す量となり、昨年3月「私の出番は終わり!」とキッパリ業界から手を引いたのですが、それでもまだ、日本からいらしたばかりの皆様と分かち合えるだけの情報量はあるかも、ということで、僭越ながら、12回だけ、日本人会会報上にベルギービールについてのシリーズを書かせていただくことになりました。ビールオタクを自称する皆様にはもう当然ご存知のことばかりかもしれませんが、フツウの駐在員やそのご家族の皆様、ベルギー滞在中に、ベルギービールのことを一通りかじって、ベルギーで、日本で(i) 、ベルギービールを振る舞いながら自慢話ができるようになっていただければ、限りなく光栄の至り。さて、そういうわけで、第一回目は、『とりあえずベルギービール概論』。
ベルギーのビール生産量は2007年度で185万kℓ。(ちなみに、ヨーロッパでは生産量は普通kℓではなくhℓ、ビールの容量は普通mℓではなくcℓで表示されるので桁にご注意!)ビールの生産高ランキングでは世界でも7位あたりにつけている日本(600万kℓ強)に比べればピーナツですが、四国ほどの国土と1000万弱の人口から考えればなかなか。一人当たりの年間消費量はここ十年来漸減傾向で、いまや80ℓ台。競合チェコ、ドイツ、アイルランドなどにすっかり水をあけられてはいるものの未だに十傑以内。日本(30位あたり)に比べれば相当のもの。これらのビール大国の中で、ベルギーがユニークなのは、国内消費量も去ることながら、実はその生産量のなんと6割が輸出されているという点。輸出といっても9割は英仏伊などの近隣ヨーロッパ諸国向けで、私ごときが20年奮闘した日本などはスズメの涙より微量ではありますが、それでも昨今の経済・消費の低迷、ユーロ高にもかかわらず、20%~30%というような堅調な伸びを続けているのであります。
さて、ビールの起源については、その手の資料にメソポタミアだの、シュメールだのと詳細されているので、古代はそちらに譲るとしても、世の東西を問わず、人知は我々に、保存の利く病原菌を媒介しない飲料として、身近にある原料を元にアルコール飲料を造らせるようになっていったわけです。皆さんも周知のように、肥沃な土地にも、明るい太陽にも恵まれていないベルギーでは、それが、地元でほそぼそ採れる穀物(大麦、小麦、チェリーなどの果物等々)をベースにした発酵飲料=ビールらしきもの、だったわけです。穀物を臼で砕いて水と混ぜ、温度をたかめて澱粉質を糖化させ、これを冷気にさらして冷ましてから木樽に詰めておくと、なぜだか泡がぶくぶくでてきて、いつのまにかアルコール飲料になる・・・。冷ましている間に目に見えぬまま自然に根付いた、空気中に浮遊する微生物の一部がブレタノミシスとかいう天然酵母と解析されたのはずっと後のこと。19世紀後半にパスツール氏の大発見によって、酵母管理による近代的大量生産ができるようになるまでは、農閑期、つまり、寒くて雨ばっかりですることのない長いベルギーの冬には、ホーム・ブルーイングよろしくあっちでもこっちでも自家醸造が行われ、うまいビールを作る農家の居間はいつの間にか酒場化し、そちらが本業となって、ベルギー中のどの村にも一軒や二軒の醸造所ができたのでした。というわけで、皆さんの回りの「ベルギー人」とおぼしき人を捕まえて聞いてみてください。先祖を手繰ると、一人や二人は醸造家だったとか、醸造一族に嫁いだとかいう親族が必ずやいますから。今も田舎の醸造所には必ずといえるほど酒場が併設されているのもその名残。イマ的には「ブルーパブ」なぞと呼ぶのでしょうが。
日本では細川内閣の置き土産と呼ばれたビール醸造免許の規制緩和。これにより、アメリカの現象に追従するかのように、地ビールだの、マイクロブルワリーだの、ブルーパブだのと呼ばれる微小醸造所が、村起こしブームに乗って独活のたけのこのように誕生し、あまりにも杜撰なビジネスプランを裏付けて瞬く間に掻き消えていったこと、まだご記憶に新しいかと。ベルギーの場合、数社を除けば、ほとんどすべてが最初からマイクロブルワリーでブルーパブの地ビール。1900年頃まで3000あったと言われる醸造所は、2度の世界大戦と世界恐慌を経て4分の1以下になり、その後も、大規模設備投資のできないところは、廃業、買収、合併を繰り返し、今日100を少し越える数で安定しているわけです。
さて、パスツール以降のビール界の大革命は、大量生産のできるピルスナータイプ、つまり低温・下面発酵(日本では普通ラガーと呼ばれる)ビールの発明。オランダならハイネケン、デンマークならカールスブルグが最初と言うでしょうが、ここはベルギー。1886年ブリュッセルで発明されたのが最初としておきましょう。この「すっきり喉越しさわやか」で、均質な大量生産が可能な新種ビールが登場すると、それまでの市場を圧巻し、当時それなりに設備投資能力のあったほとんどの醸造所はピルスナー醸造に切り替えて行ったのですが、こうなると、資本力・マーケティング・経営能力に長けたオランダ、ドイツ、アメリカの大ビール工場には到底かなわない。。。 それで80年代あたりから、温故知新、小さいことはいいことだと、高温・上面発酵ビールが見直されビール市場の25%程度を維持するようになったのでした。それが、数え方によって、400種とも800種とも言われる、今日私達が「ベルギービール」(別称、スペシャルビールないしはスペシャリティビール)と呼んでいるもの。ベルギー国内でも、実は国内消費の70%以上はピルスタイプなのですが、ベルギー製造業の輸出のエース、今日のビール業界を支えているのは、あくまで高温・上面発酵のスペシャルビール達なのです。
すでに長くなってしまったので、ビールカテゴリーについては一言だけ。ベルギービールのカテゴリー分類では、ベルギービールファンの古典とも言うべき、ビール評論家 故マイケル・ジャクソン氏の著書The Great Beers of Belgium (ii)が基本となっているようですが、ベルギービール醸造家組合もそのサイトwww.beerparadise.be で分類を解説しているのでご参照ください。いずれの分類でも、なんともどうにもすっきりしないのは、分類の基準が、製造方法かと思ったら、原料になったり、呼称になったり、アルコール度数や色に着眼したりとぶれるから。日本やアメリカのマニアックで生真面目人間は、どこにも属さないビールが出てきてしまったり、いくつものカテゴリーに入りうるビールがあったりするとイライラしてしまったりするのですが、そこはまあBelgian Compromise(ベルギー的妥協)!先にマイケル・ジャクソンがいて、そのカテゴリーに合うビールを造ろうとしたわけではなく、分類なんかを考えつくずーっと前のブリューゲルの時代から、ベルギー人は旨いビールを造り、興じてきたのですから。
さて、今年は9月最初の週末が第十回Belgian Beer Weekend。(www.belgianbeerweekend.be)
グランプラスにところ狭しとテントが並び、約50もの醸造所が、一人でも多くの人に、自慢のビールを味わってもらおうと集います。価格は実にDémocratique!(ベルギー人的に言う庶民的!)ブースの一般公開は5日(金)の6時からですが、今年は通ぶって、ベルギービール騎士達によるビール業界の守護聖人、聖アーノルドにささげるミサ(今年は2時20分からla Cathédrale des SS. Michel et Guduleにて)から参加してみては? ベルギービールにのめりこむことの懺悔を、、、乾杯!
脚注
ⅰ) 今日では、東京を中心にベルギービールを専門とするビアカフェ・レストラン、そして酒屋が全国に200店舗位あります。また東京には、ベルギービール広報センターなるベルギーのビール醸造家組合の出先もあります。日本で好みのベルギービールを買って飲もうという場合の参考に、アドレスをいくつか。
http://www.konishi.be/
http://www.belgianbeer.co.jp/
http://www.ea.ejnet.ne.jp/~manuke/zatsu/beer/bierebelge.html
ⅱ) ちなみに、同書の最初で最後の翻訳版「地ビールの世界」(95年、柴田書店)に関して、その原題とかけ離れたタイトルを本誌「ベルギーものなんでも読書案内」の藤野氏にかつて酷評されてしまいましたが、何を隠そうあの仕掛け人はこの私目でした。当時は、「ベルギービール」も「ビール評論家のマイケルジャクソン」も全く無名。94年以降の「地ビール」ブームに便乗して売るしかないとの出版社の独断による命名でした。昨今では「ベルギービール大全」(アートン)など日本語による良き解説本が多々出ています。
(ベルギー日本人会会報 2008年9月号掲載)