外国から祖国の窮状を見守る②
大震災から二ヶ月余り。世界のニュースから日本の震災や原発事故に関するニュースは消え去り、もしや被災地にはすでに平穏な日常が取り戻されているのではないかという幻想さえ抱かせてくれます。
しかし、現実的に考えれば、三万人近い死者行方不明者を出し、避難者が十三万人にも上るという壊滅的被害が、そう簡単に復興できるはずはありません。
ベルギー人は、普通なら知らない人に話しかけることはなどありえないのに、震災以来、大人も子供も、日本と縁もゆかりもなかった人々までもが、日本人と見れば手を握り、目に涙をためながら、災害見舞いの暖かい言葉をかけてくれます。毎日のように知らされる世界の天変地異や戦禍のニュースの中でも、東北大震災はそれほど衝撃的だったのです。二ヶ月を経過した今、それでは外国に住む日本人や日本を案ずる人々は何を考え、どのような行動をとっているか、ベルギーを例にしてお伝えしてみましょう。
少しでも良識ある人ならば、これほどの規模の災害では、復興に膨大なお金と時間がかかることを知っています。ですから、ほとぼりが冷めると忘れてしまうのではなく、復興が起動に乗るまで、ある程度の長い目で義援活動を続けなければと感じています。ベルギー中のいくつもの市町村や区が、北大西洋条約機構(NATO)を始め一千以上もある国際機関が、ブリュッセルにあるアメリカ婦人会(AWCB)やアジア太平洋諸国婦人協会(APWA)、ロータリークラブや私が所属するソロプチミストなどの国際奉仕集団が、現地の学校やスカウトなどの子供達が、様々な基金集め活動を次々と企画し開催し続けています。
ベルギーに長く住む日本人達の中では、まず、地元情報誌やサイトを運営する人々がいち早くチャリティ・バザーを企画し、たった一日で約三百万円も寄付したのを始め、多くの日本人音楽家達がコンサートを行い、地方都市に住む日本人達も三々五々集まってイベントを実施。日本人シェフやパティシエなどの飲食業関係者も、盛大なチャリティ・ディナーを開催しようとしています。中でも見事な組織力を見せたのは、音楽・舞踏・美術部門のプロが中心のグループ「Act for Japan」。サッカーの川島選手も加わってキックオフし、コンサート、展覧会など質の高い活動を次々と展開して、息の長い震災支援を呼びかけています。そして私は「負けるな、ニッポン」と書いたシリコン製のリストバンドを作り、子供達を中心にあちこちで販売し子供達への義援金集めに奔走しています。
何の因縁もない現地の人々や第三国の方々までが、一生懸命になってくれる姿を目の当たりにし、ありがたさで胸がつまり、何もせずにはいられないのです。ハイチや中国四川の大震災の時、私達日本人の多くは積極的アクションを興しこともなかったろうに。
さて、ここへ来て、感心の矛先は「どこへ寄付するか」に集まってきています。
日本赤十字などの大組織が、世界中から一千億円以上の寄付を集めながら、公平や透明性を重視するばかりに、わずかばかりの一律一時金支給を二ヶ月もたってようやく始め、それすら通帳や印鑑持つ人しか受け取れないと聞くにつけ、その杓子定規さにいらだち始めています。痺れを切らした人々は、「避難所にいる人々や震災で親兄弟を失った子供達に、今役に立つ物やサービスを直接提供できる方法を見つけてほしい」と依頼しはじめました。今、私は、被災地の児童福祉施設、老人ホームなどに直接寄付ができないか具体的に調査しています。緊急性や必要度に応じて支援の手はある意味で「不公平に」与えられてよいと信じるからです。
一方、外地にいると、二ヶ月たった昨今、当の日本人がまるでけろりと何事もなかったように振舞っているのを見て、白けてしまうことが多々あるようになりました。出張者がまとまって羽目をはずし、大顰蹙を買っていたり、観光旅行の若者が不相応な超高級ブランド店に行列したりするのを見て、必死に義援金集めをしている現地人は何と感じるのでしょうか。
<婦人通信2011年7月号掲載>